馬王堆漢墓の発掘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)
1972年初め、湖南省長沙市東郊の馬王堆漢墓が発掘され、保存状態のよい遺物が出土した。この漢墓は、前漢初期の長沙国の丞相軑侯・利蒼とその妻子の墓で、夫人の遺体が腐乱しない軟体のままの姿で発掘され、大きなニュースになった。出土した資料は帛書、竹簡、木簡、印章など多岐にわたり、いずれも副葬品である。墨書による精彩な文字で、篆書から隷書にいたる過程を示す貴重な資料である。湖南省博物館に収蔵されている。 長沙漢簡 1972年、馬王堆一号漢墓から出土した漢簡であり、馬王堆一号漢簡ともいう。出土した竹簡は312簡、文字は1簡に2字から25字で、総計2000余字あり、そのほとんどが副葬品の品名や数量を記した目録である。従来の漢簡で年記のある最も古いものは、天漢3年(紀元前98年)の簡であるが、この墓の造営がそれ以前であることは間違いない。なお、1973年には610簡の出土があった。 馬王堆帛書 1973年12月、馬王堆三号漢墓から出土した帛書で、12万余字に及ぶ厖大な量である。帛とは絹のことで、紙が普及するまでは竹簡や木簡などの他に絹が使用されていたことを証明している。絹は保存が困難で伝来するものは稀であり、重大な発見となった。内容は、天文星占に関するもの、医学に関するもの、陰陽五行に関するものなどで、これらは前漢・文帝の12年(紀元前168年)の遺物とみられている。これに書かれた文字は、「篆書から隷書に至る過渡的な段階にあるもの。」といわれているが、「篆隷中間書というはっきりしないものではなく、正しく整形した一書体に定着した新書体である。」との見解もある。
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