青州と徐州と治めるとは? わかりやすく解説

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青州と徐州と治める

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 17:39 UTC 版)

臧覇」の記事における「青州と徐州と治める」の解説

建安4年199年8月曹操黎陽進軍すると、臧覇らを青州進入させて斉郡北海郡東萊郡を破らせた(「武帝紀」)。 建安5年200年)の官渡の戦いでも、臧覇らが何度も精鋭率いて青州侵入したため、曹操袁紹との正面決戦専念し東方のことを気にせず済んだ建安10年205年1月曹操南皮において袁譚を破ると、臧覇らと会って慶賀した。この時、臧覇は自らや配下家族を鄴にすすんで赴かせたため、曹操にその忠孝感嘆された。青州徐州方面治安維持大きく貢献したので、臧覇らは列侯取り立てられた。臧覇は都亭侯となり、威将軍加えられた。 かつての配下である昌豨于禁と共に征伐し黄巾残党の徐和を夏侯淵と共に討伐するなど、更に功績重ねて徐州刺史となった。同じ頃、かつての配下である孫観青州刺史となっている。 臧覇下邳県令となった武周尊敬し、自ら武周宿舎訪問した。部従事が法を犯して武周逮捕されたことがあり、臧覇はますます武周評価した建安14年209年)、曹操は自ら10万上の軍勢率い孫権征伐してきた。臧覇巣湖入って居巣破った陳蘭梅成曹操対し反乱起こしたため、張遼于禁張郃と共にこの討伐あたった孫権陳蘭救援しようとしたが、臧覇は皖城に入城しそれを阻止した。さらに、迎撃に来た孫権軍韓当を逢龍・夾石で撃破し引き返して舒県に駐屯した。孫権万人を船に乗せて、舒口に駐屯させ陳蘭救援しようとしたが、臧覇が舒にあったため退却した臧覇追撃をかけるとともに退却する孫権軍前後から挟撃散々に打ち破り溺死者を続出させたという。こうして孫権軍陳蘭救援失敗し張遼陳蘭斬ることができた。孫権巣湖固守して曹操戦い曹操軍大損害を被ると、12月曹操孫権攻め敗れ撤退した建安22年217年)、正月濡須口の戦いでは張遼と共に先鋒務め孫権工作隊を撃退した大雨降って水位上がり孫権軍の船が迫ってきたため将士不安になった。張遼撤退考えたが、臧覇曹操自分たちを見捨てることはないから命令を待つべきだと反対した。果たし次の日に撤退命令があり、張遼はこのことを曹操語った曹操はこの判断評価し臧覇を揚威将軍任命し、仮節とした。結局曹操は濡須塢で孫権攻め落れず、逆に孫権軍撃退され引き揚げた。臧覇引き続き留め置き居巣残留する夏侯惇の下に置いた建安25年220年1月曹操死去すると、臧覇部下青州兵は天下乱れると考え勝手に持ち場離れた(『魏略』)。 延康元年220年1月曹丕魏王を継ぐと、臧覇鎮東将軍昇進し武安郷侯に進爵し、都督青州諸軍事となった。10月曹丕帝位に就く(文帝)と、開陽侯に進封し、後に良成侯に改封された。 黄初3年222年)から翌4年223年)にかけての呉との戦いでは、曹休張遼と共に洞浦で呂範大勝した。さらに臧覇曹休命令を受け、快速500艘と1万の兵を率いて徐陵呉軍襲撃し破ったが、全琮徐盛追撃され大敗した222年から223年にかけての三方面での戦い)。 曹丕帝位就いた時、曹休都督青徐二州諸軍事に任命したところ、臧覇曹休朝廷への不満を漏らし自分に歩騎1万余り与えれば呉を横行できると言ったことがあった。曹丕以前青州兵の事件によって臧覇疑っており、曹休から話を聞いてその勇壮さを憚り臧覇来朝させて兵を剥奪した(『魏略』)。 中央召される執金吾となり、位を特進とされた。臧覇曹丕軍事顧問になったという。 曹叡明帝)の時代には500戸を加増され、3500となったその後まもなく死去し、威侯と諡され、子の臧が後を継いだ。臧若い頃から優秀で黄門郎となり、郡守歴任し青州刺史となり、少府至り死去すると恭侯と諡され、子の臧が嗣いだ。 正始4年243年)秋7月曹芳斉王)は詔勅下し曹操の廟庭に功臣20人を祭った。その中には臧覇含まれている(「斉王紀」)。

※この「青州と徐州と治める」の解説は、「臧覇」の解説の一部です。
「青州と徐州と治める」を含む「臧覇」の記事については、「臧覇」の概要を参照ください。

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