青嵐会の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 09:04 UTC 版)
1970年代に自由民主党の派閥横断的に結成された保守派の衆参両若手議員の集まりであった青嵐会は自由民主党執行部(田中金権政治)に反発、第10回参議院議員通常選挙において党の方針に反発し、青嵐会独自の候補者を擁立、選挙戦に臨んだ、特に北海道選挙区では河口陽一・西田信一の両現職公認に不満を持った青嵐会の浜田幸一・武部勤らが高橋辰夫の出馬を強行した結果、保守票が分散し3名とも共倒れとなり全員落選した。その得票数や影響力を重く見た自民党執行部は青嵐会を処罰しないことを決定した。
※この「青嵐会の例」の解説は、「分裂選挙」の解説の一部です。
「青嵐会の例」を含む「分裂選挙」の記事については、「分裂選挙」の概要を参照ください。
- 青嵐会の例のページへのリンク