震災の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:17 UTC 版)
第2期埋立途中の1995年1月17日に、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生、ポートアイランドにも大きな影響を与えた。 第1期埋め立て部分全域で大規模な液状化現象が発生し、島内すべてのコンテナバース等が破壊され、ガントリークレーンも大きく傾き使用不可能となった。また、神戸大橋の橋脚にズレが生じ三宮側が破壊され自動車の通行が不可能に、ポートライナーも橋脚の落下や駅舎の損壊が生じ運行休止となった。当時はまだ神戸港港島トンネルが開通しておらず、島が孤立する事態となった。神戸大橋には水道管2本が設置されていたが、通水していた1本(もう1本は将来需要を満たすために作られたもので通水されていない)が陥落して人工島の防災上の弱さを露呈した。孤立した島内の負傷者は、島内の神戸市立中央市民病院に集中した。 市内の需要をカバーするため、第1期・第2期に約3,100戸の第1~第7仮設住宅が建設され、被災者を受け入れた。他地域よりも広大な敷地を使用できたために大規模な仮設住宅の建設ができたもののそれでも用地は不足するほどであった。1999年末までの約5年間にわたり使用された。 唯一の交通手段であった神戸大橋は早急に復旧が強いられ、車線を大幅に減少した状態で一部復旧したものの終日渋滞が慢性化しており、ポートライナーの代替バスが橋を渡るだけで1時間近くかかることもあったほど混雑していた。同年8月1日より渋滞緩和の目的で、新港第三突堤より340mの仮設橋(KD橋)が架けられた。翌年1996年6月27日まで供用され、7月4日には全面復旧した。なお、ポートライナーでも急ピッチで復旧工事がすすめられ、震災発生年の5月22日と6月5日に部分開業、7月31日に195日ぶりに全線が復旧開通した。 「神戸新交通ポートアイランド線#震災の発生」も参照 震災発生年の6月30日、神戸市は「神戸市復興計画」を発表、神戸港の復興を目的として、ポートアイランド第2期に国内初の水深15m以上の高規格コンテナターミナルの整備、およびシンボルプロジェクトとして「神戸起業ゾーン整備構想」を選定、インキュベーションの拠点となる中核施設を整備し、優遇税制、規制緩和、総合保税地域制度などを特長とする「エンタープライズゾーン」を設置することとした。これがのちの神戸医療産業ゾーンへとつながる。 コンテナバースの復旧は暫定供用開始した後、「打手替え」方式によって本格復旧工事が行われ、1997年3月31日に港湾施設が全面復旧。5月19日に、神戸市は「神戸港復興宣言」を発表。同年に市民広場駅より世界最長である全10本のムービングウォークを設置し第1期部分と第2期部分と間のアクセスを向上、防災機能の強化とともに島全体が一体となっての再興を図った。
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