関係者等のコメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:33 UTC 版)
ウィキクォートに10.8決戦に関する引用句集があります。 落合については、同年に中日から巨人に移籍したもので、毎日新聞が再三にわたり「真価が問われる」と述べていたことにもあらわれるような状況にあったため、「泣くまいと思っていたが、(自然に涙が出てしまった)」というコメントを出した。なお、東京新聞(10月12日付東京新聞19面12版)は、「あの史上初の最終決戦。彼の真骨頂を見た」と評した。落合は、後年、自著『プロフェッショナル』 (p.268) で、自分の信念として、次のとおり述べている。ペナントレースにしろタイトル争いにしろ、僅かでも数字が高い者を勝者とする場合は、リードしている方が絶対に有利である。(中略)精神的な重圧は、明らかに追う者の方がきついと言える。ならば、リードしている者は精神的に余裕を持って戦える(中略)はずだ。 原は、2007年刊行の『巨人軍5000勝の記憶』で、この時点の巨人監督としてのメッセージの中で、この試合について「正直、あの心境は二度と味わいたくないですね。(中略)巨人軍5000勝という枠を超えた、最も印象に残る、しかし二度と経験したくはない1勝でした」と述べている (p.6 - ) 。 大豊は中日の四番打者として、「(巨人の四番打者であった)落合さんはホームランとタイムリーという試合の流れを決める働きをした。自分は1回の併殺打で全てが終わり1本のヒットも打つことが出来なかった。(中略)4番の差で負けた。それだけではないと思いますが、4番打者の差が一つの大きな敗因だった」と振り返っている 中日で8回から2イニングを投げた野中徹博は、この登板を、プロ野球生活一番の思い出、と述べている。 球審を務めた小林は、のちに「球審は当時の審判部役員の推薦により決まり、すごくうれしかった。あの日は球場入りすると異様な雰囲気。マスコミも日本各地から集まった感じ。しかし、試合が始まると思ったほど緊張しなかったし、試合終了後、川島廣守セ・リーグ会長(当時)が審判員や記録員を食事に連れて行ってくれた」「大事な試合を無事にこなせたという充実感でいっぱいでした」と述べている。一方で、「特別なゲームだからと言って、何かしないといけないというわけではない」「両チーム、ファンと同じ温度でいては、冷静な判定は決してできませんから」と、審判のあり方についても述べている。 西武ライオンズ監督(当時)の森祇晶は、「並大抵の相手じゃない」等の内容のコメントをし、それにかかる報道の中には、「(長嶋監督)その人を意識してもらした言葉のように感じられる」としたものもあった。
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