開戦前夜におけるイギリスの情勢誤認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「開戦前夜におけるイギリスの情勢誤認」の解説
このように情勢が加速度的に悪化しているにも関わらず、依然としてイギリスの対応は鈍かった。イギリスの情報機関は3月22日になっても、あくまで問題はサウスジョージア島であって、フォークランドにまで侵攻して来るなどとは想定していなかった。3月28日には政府通信本部(GCHQ)により、アルゼンチン海軍の潜水艦「サンタ・フェ」がフォークランド諸島沿岸に派遣されていることが傍受されたものの、同日、アルゼンチン海軍総司令官アナヤ大将が「サウスジョージア島でアルゼンチン人が殺害されない限りフォークランドには手を出さない」と発言したこともあって、この情報の重要性は十分に認識されなかった。 3月31日の時点においてすら、JICは「アルゼンチンはサウスジョージア問題を逆手にとって交渉の材料にしようとしている」として、サウスジョージア島で挑発してイギリスの行動を誘うことがアルゼンチンの目的であって、よもや先に仕掛けて来ることはないであろう、との判断であった。しかし同日、GCHQは、アルゼンチンの海兵部隊一個大隊が4月2日にはフォークランドのスタンリーに達するということ、そしてブエノスアイレスから在英アルゼンチン大使館に対してすべての機密書類の焼却命令があったという決定的な情報を傍受した。 事ここに至り、イギリス政府も、ついにアルゼンチンの狙いがフォークランド諸島にあり、情勢が想定を大きく超えて急迫していることを理解した。サッチャー首相はアメリカ合衆国に事態収拾の仲介を要請しており、4月1日、レーガン大統領はガルチェリ大統領に対する説得工作を行っていることとアメリカの立場がイギリス寄りであることを伝えたが、ガルチェリ大統領との連絡は困難であった。駐アルゼンチンのアメリカ大使が既にガルチェリ大統領と面会していたが、大統領は「何を言っているのか全く訳がわからない」状態であった。ワシントン時間で4月1日午後8時半頃、レーガンはようやくガルチェリと電話で話すことができたが、侵攻を思いとどまるよう説得するレーガン大統領に対し、ガルチェリ大統領は自分たちの大義について演説し始める始末であり、説得は失敗であった。 このような外交的手段と並行してイギリス側も重い腰を上げて、軍事的な対応に着手していた。3月29日には、物資と海兵隊員200名を乗艦させたフォート・グランジ級給糧艦「フォート・オースティン」が急派された。また4月1日には原子力潜水艦「スパルタン」と「スプレンディド」も派遣されたほか、ジブラルタルに寄港していたフリゲート艦「ブロードソード」と「ヤーマス」も追加されることになった。海軍は、今後も増派を続けるのであればこのような五月雨式の派遣を続けるべきではないと考えており、第一海軍卿リーチ提督は、空母機動部隊の編成を上申した。これを受けて、3月31日の時点で、サッチャー首相は任務部隊の編成を下令していた。しかしこれら先遣隊の到着は4月13日前後、そして空母機動部隊の出港も4月5日の予定であった。 これに対してアルゼンチンにおいては、3月26日の時点で軍事評議会によってフォークランド諸島侵攻に関する最終的な決断が下されていた。現地時間4月1日19時、アルゼンチン軍はロサリオ作戦を発動し、同日23時に最初の部隊がスタンリー付近に上陸して、本格侵攻を開始した。
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