開戦前の緊張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 12:17 UTC 版)
宋の燕京回復から1カ月後、燕京の東にある平州知州張覚が金に反逆して金の主な役人を殺害し、宋に引き渡した。金は張覚の軍を粉砕し、張覚は燕京へと逃れた。1123年、宋金両国は張覚を処刑する事に合意こそしたものの、一度張覚の亡命に応じた事は、相互の亡命者の受け入れを禁じていた盟約に反していたため、両国の緊張を高める事となった。1124年、宋は残る九州の割譲を金に要求したため、これが金の怒りを買う一つの要因となった。金はこの年完顔阿骨打の病没により完顔呉乞買が即位した。彼は完顔宗翰・完顔宗望の強い拒絶により九州割譲を躊躇い、最終的には二州のみを与えた。この時既に宋侵攻の準備は整えられつつあった。金の王族は南に僅かに残る遼を撃破し、翌1124年には西夏を服属させ、遼の最後の皇帝天祚帝を捕えて遼を滅ぼし、宋との盟約解消に備えて侵略の準備を整えた。
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