鉄道事業者時代
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1919年(大正8年)5月5日 - 秋元喜四郎ら13人が多摩川砂利鉄道敷設免許申請書を出願。 1920年(大正9年)1月29日 - 多摩川砂利鉄道発起人に免許状が下付。 3月1日 - 創立事務所を東京市麹町区内幸町に設置し、社名を南武鉄道に変更する旨を届出。 1921年(大正10年)3月29日 - 南武鉄道株式会社設立。 1923年(大正12年)9月 - 浅野泰治郎(後の二代目浅野総一郎)が南武鉄道の株式50000株を取得し筆頭株主となり、浅野財閥入り。 1924年(大正13年)6月 - 本社を神奈川県橘樹郡御幸村(7月に川崎町・大師町と合併して川崎市となる)に移転。 1927年(昭和2年)3月9日 - 南武鉄道線の最初の開業区間、川崎駅 - 登戸駅間他が開業。 1929年(昭和4年)12月11日 - 南武鉄道線分倍河原駅 - 立川駅間が開業し、川崎 - 立川間(現在の南武線本線)の営業を開始。 1930年(昭和5年)3月25日 - 南武鉄道線尻手駅 - 浜川崎駅間が貨物線として開業。現在の「南武支線」(浜川崎支線)。 4月10日 - 南武鉄道線(現・南武支線)の尻手駅 - 新浜川崎駅(国有化時に浜川崎駅へ統合)間で旅客営業を開始。 1940年(昭和15年)10月3日 - 五日市鉄道(立川駅 - 拝島駅 - 武蔵五日市駅 - 武蔵岩井駅間他)を合併。 1943年(昭和18年)9月8日 - 同じく浅野財閥の鉄道会社である青梅電気鉄道・奥多摩電気鉄道(ともに現在の青梅線)との合併に仮調印。翌年2月1日に「関東電鉄」発足を予定していたが、国有化により実現せず。 1944年(昭和19年)4月1日 - 鉄道路線が「南武線」「五日市線」として国有化され、鉄道事業から撤退(同時に立川 - 拝島間は休止)。砂利採取、バス事業を主力とする 1954年(昭和29年) - 系列企業であった立川バスが小田急電鉄系列になり、旅客運送事業から撤退。
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