都市計画街路の完成とは? わかりやすく解説

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都市計画街路の完成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:36 UTC 版)

御堂筋」の記事における「都市計画街路の完成」の解説

大阪 - 神戸間結んでいた蒸気機関車は、1889年明治22年)には東京(現:新橋駅)まで結ばれるようになり、大阪駅次第大阪玄関口として重要視されるようになった1908年明治41年)には現在の四つ橋筋梅田 - 難波間を結ぶ最初南北幹線道頓堀川以南経路は現在と異なる)として竣工したものの、下船場堀江経由となり、基本的に大阪市電のために敷設され道路で、幅員狭かったかつては道幅6 mの一般的な道路であったが、船場島之内経由する南北交通路必要性叫ばれるようになったことから、1919年大正8年)に第6代大阪市長であった池上四郎は、梅田 - 難波間の梅田新道淀屋橋筋・御堂筋第一次都市計画事業都市計画街路第1号線として、延長4 km幅員44 m(24間)へ拡幅する事業計画発表したその後東京高商(現:一橋大学教授経て1923年大正12年)に大阪市助役から池上の後任として第7代大阪市長就任した都市計画学者・關一は、この計画池上から引き継ぐとともに将来考えた都市政策着々と進め都市計画により、1926年大正15年)から地下鉄御堂筋線建設合わせて総工費約3,375万円をかけて24間幅へ拡幅する工事が行われた。 梅田新道母体となる淀屋橋交差点以北は、1911年明治44年)の大阪市電敷設の際に12間幅に拡幅されていたこともあって、大江橋北詰交差点以北拡幅工事1927年昭和2年)に早々竣工大江橋以北街路樹プラタナスで、淀屋橋交差点以北には大阪市電軌道残された。 一方淀屋橋交差点以南近世依然3.3間幅からの拡幅工事となり、用地買収時間かかって1929年昭和4年)にようやく着工し1937年昭和12年5月11日竣工地下には電線埋設し大阪市初の市営地下鉄御堂筋線開通して大江橋淀屋橋現在の橋架け替えられ、新橋長堀川)と道頓堀橋道頓堀川)が初め架橋された。淀屋橋以南街路樹イチョウで、軌道がない一直線目抜き通りとなった。そして、以前淡路町通の屈折無くなり梅田新道淀屋橋筋を合わせて全線御堂筋となった

※この「都市計画街路の完成」の解説は、「御堂筋」の解説の一部です。
「都市計画街路の完成」を含む「御堂筋」の記事については、「御堂筋」の概要を参照ください。

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