都市建築の保全活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:19 UTC 版)
フランス支配時代の初代モロッコ総督ルイ・リベール・リヨテは、1912年にモロッコ各都市の歴史建築を文化財として登録し、建物の保護を試みた。フェズの文化財の大半はマドラサで占められ、マドラサ、フンドゥク、カスバ、城壁、城門はフェズ出身の職人によって修復された。安全の保証、モロッコ人との衝突の回避のためにフランス人の旧市街への入居は禁止され、1914年には旧市街全体の開発が禁止された。リヨテの保護政策はフンドゥクやカスバなどの基礎建築と記念碑的建築のみを対象としており、街区、通りの袋小路、邸宅といった住環境には及ばなかった。リヨテが任期を終えてモロッコから去った後、文化財の保護政策は停滞する。 1956年のモロッコ独立後に旧市街の居住者が新市街に流出したために古くからの家屋は荒廃し、地方の住民によって建てられた家屋のために城壁内の密度が高くなり、市街の荒廃は深刻化している。放棄された邸宅の中にはフェズに流入した離村農民に占拠されたものもあり、中庭を囲む個々の部屋が一家族の居住スペースとして使用されており、複数の家族が居住する共用住宅のような状態になっている。部屋の中庭に面する部分にはカーテンやシートが目隠しとしてかけられ、中にはモルタルで塞がれている部屋もある。 1980年にはユネスコのアマドゥ・マクタル・ム・ボウ全事務局長がフェズ旧市街の保持の援助を呼びかけた。1989年以降は自治体でも町の保全に取り組んでいるが、公的予算が不足しているため、住民に住居の保全を呼びかけるに留まっている。1990年代には汚水の排出、水路網の老朽化、川の暗渠化されていない場所へのごみの投棄といった環境問題によって旧市街の衛生状態が悪化し、古くからの住民の退去を促進する一因にもなった。衛生状態の改善のために、暗渠化の工事、下水道の整備、汚水産業の移転と指導、川へのごみの投棄の違法化といった処置がとられた。併せて旧市街の過密化に伴って問題となっていたごみ収集システムの整備が実施され、これまで住民が行っていたごみの収集が市が指定する業者に委託され、動物交通と自動車を組み合わせた運搬が行われるようになった。
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