都市建築と神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/22 14:49 UTC 版)
「ドゥラ・エウロポス」の記事における「都市建築と神殿」の解説
建物の多くは日干しレンガ製で、特別な建物は石造建築であり建物の一部分に石を用いた建物もあった。セレウコス朝以来の建物もごくわずかながらあり、この町は疑いなくセレウコス朝期に建てられたということを示している。町の中央には大きなアゴラ(広場)があり、アルテミスとアポロンに捧げられた神殿があった。アルテミス神殿は単純な構造で、一つのテメノス(区画)に、祭壇が中央に一つあるというものだった。町の東、ユーフラテス沿いの崖上にはアクロポリスがあったが、これは本当の山の上ではなく、町の主要部とはワジ(涸れ谷)で隔てられた台地の上にあり、宮殿と神殿(おそらくゼウスのためのもの)があった。同じくユーフラテスの崖上には町とはワジで隔てられた堅固な城塞があり、ヘレニズム期からパルティア期にかけてストラテゴスが住んでいたとみられる宮殿があった。ヘレニズム期の城塞設計の際には石が多く用いられていたが、この要塞化は結局完成しなかった。 パルティア期には都市計画に大きな変更はなかったとみられる。しかしギリシア風の建物に代えてパルティア様式の建物が建つようになり、未完成だった古代ギリシア風のアルテミス神殿に代えてパルティア風のアルテミス神殿が建った。また都市の国際化に伴い、ギリシアの神々のほかにシリアの神々、パルティアの神々を祀る神殿が増えた。ギリシア化されたセム系の神や、セム系の名になったギリシアの神などもあるが、崇拝方法や建築はオリエントの形式であった。これらの神殿は市民の寄付で建ち、神々や寄進者や生贄などの絵で飾られた。これらの絵画の中には、職人のサインが入ったものもある。
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