遺言
『仮名手本忠臣蔵』4段目「判官切腹」 伯州の城主・塩冶判官は、殿中松の間で高師直に斬りつけたため、切腹を命ぜられる。判官が九寸五分の短刀を腹に突き立てた直後に、国家老・大星由良之助が駆けつける。判官は「この短刀で師直の首を討って、我が恨みを晴らしてくれ」との思いをこめ、「この九寸五分は、汝へ形見」と由良之助に言い遺す〔*「かたみ」を「かたき」とも聞こえるように発音することがある〕。
『平家物語』巻6「入道死去」 治承5年(1181)閏2月2日、重病の入道相国(=平清盛)は、「私が死んだ後は、堂塔など立てるな。供養もするな。すぐに討手を伊豆へ遣わし、源頼朝の首をはねて、私の墓の前へ懸けよ。それが私への供養になる」と、妻の二位殿に遺言した。たいへん罪深いことであった。2月4日、清盛は死去した。64歳であった。
★2.遺言にそむく息子。
『義経記』巻8「秀衡死去の事」~「秀衡が子供判官殿に謀反の事」 源義経は平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せたが、数年を経ずして秀衡は病み、一族を集めて遺言をした。「私が死んだら、鎌倉の頼朝が『判官(=義経)を討て』と要求してくるだろう。その時は、鎌倉からの使者を斬り、念珠(ねず)・白河の両関を閉じて、戦(いくさ)の用意をせよ。これを守れば、お前達の将来は安泰だ」。しかし息子の泰衡は頼朝に懐柔され、父の遺言に背いて義経を討った。
*義経は死なず、ジンギスカンになったという話もある→〔死体消失〕6の『豹(ジャガー)の眼』。
★3.遺言状。
『失った遺産』(H・G・ウェルズ) 財産家の伯父は、生涯で53冊もの著書を自費出版した。「おれ(テッド)」は伯父の遺産目当てで、そばにいた。伯父は死ぬ少し前に、「わしの最後の著書だ。読みなさい」と言って、1冊の本をくれた。もちろん「おれ」は、そんな本など開いてもみなかった。ところが伯父は、全遺産を与える旨を記した遺言状を本に挟んで、「おれ」に渡したのだった。「おれ」はそれを知らず、12万ポンドの遺産をもらいそこねた。
★4.二つの遺言。
『AとBの話』(谷崎潤一郎) 善の作家Aは、悪の作家Bの代作をしていた(*→〔盗作・代作〕5)。肺病で死の近いBは、「僕の全集を編纂してくれ」とAに遺言する。ところが臨終の時、Bは「僕が悪かった。この前の遺言は嘘だ。作品をすべて君に返そう」と、Aに第2の遺言をする。Bの死後、Aは、第1と第2のどちらの遺言に従うべきか考えた末、第1の遺言に従ってBの全集を刊行した。それが最もAの良心に疚(やま)しくない道だったからである。勝ったのはAだろうか? Bだろうか?
★5.女神の遺言。
穀物の神・矮姫(サヒメ)の伝説 穀物の神・大食之姫(オオゲツヒメ)が死ぬ時に(*→〔食物〕11)、我が子・矮姫を呼んで遺言した。「お前は人並みならぬ小さな身体で、これから苦労するでしょう。私が死んだら、私の身体に穀物の種が生えます。その種を持って安国(やすくに)へ行きなさい」。矮姫は遺言に従い、日本へ渡ってさまざまな種をまいた(島根県那賀郡三隅町)→〔小人〕1b。
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