選挙落選後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 16:14 UTC 版)
静岡県知事選挙の開票結果が報道された後、選挙事務所にて挨拶し「負けは負け。言い訳するつもりはないが、選挙は素人だから、敗因は分析できない」 と主張した。広瀬を擁立した自由民主党静岡県支部連合会では、トリプルスコアでの惨敗という結果に「われわれが支援する知事選候補者としては前代未聞」 と衝撃を受けた。県連政務調査会長の中沢公彦が「想像をはるかに超える得票差。党組織のあり方も考えなくては」 と発言したが、第23回参議院議員通常選挙を控えていることなどに配慮し、県連幹部の交代などはせずそのまま続投すると発表した。開票翌日には県連会長の塩谷立が党本部にて選挙結果を報告したが、党本部の副幹事長から「恥ずかしい結果だ。支持を出した党本部の対応も問題がある」 と自戒するコメントがなされた。また、党本部の幹事長である石破茂は、敗因を分析し「準備不足と知名度不足に尽きる」 と指摘している。 しかし、県連執行部が早々に続投を表明したことから自由民主党の市町村支部からは反発の声が挙がった。自由民主党静岡市静岡支部では剣持邦昭支部長が、「一生懸命応援したが、歴史的惨敗だった。県連の責任は逃れられないと思っている。敗因を総括して、支部に報告していただくように申し入れたい」 と主張するなど、惨敗の総括と県連が責任を取ることを強く要求した。そのため、静岡市静岡支部の定期大会において、参議院議員の牧野京夫が支部関係者に「知事選ではご心労とご負担をかけた。本当に申し訳なく思っている」 と謝罪する事態となった。静岡市長や静岡県議会議員などを歴任した静岡県連常任顧問の天野進吾県議は、市町村支部の憤りに理解を示しつつも、県連執行部は2013年5月に交代したばかりである点を指摘し、現執行部を責めるのは無理があると指摘している。そのうえで、天野は「正直云って、今更ながら腑に落ちない点は、どうして『候補者・広瀬一郎』が誕生したかであります」 と述べるとともに、県連関係者にも広瀬を擁立した経緯が未だ説明されていないと指摘し、前執行部の候補者選考過程に疑義を呈している。 その後、静岡県議会の会派「自民改革会議」が議員総会を開催すると、広瀬もこれに出席して選挙での支援について謝辞を述べた。この議員総会は完全非公開の状態で行われたが、その時の広瀬の様子について、天野進吾は「憔悴した『広瀬一郎』氏が顔を出し、最後の別れの言葉を述べていきました。『これから東京に行きます』の言葉には、2度とこんな悲哀は味わいたくないの感慨と共に、『静岡との決別』の意図が込められていたよう私には感じられました」 と語っている。その後、広瀬の経営するスポーツ総合研究所の公式ウェブサイトにて、広瀬が2017年5月2日に逝去していたことが発表された。
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