運動の終わりと影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:53 UTC 版)
抽象表現主義は1950年代終わりにはエルズワース・ケリー、アレクサンダー・リーバーマン、フランク・ステラ(初期)らによる「ハードエッジ」(刃の鋭い縁のように、絵画表面もその理論も研ぎ澄まされた画風を評してこう呼ぶ)にまで行き着いた。彼らはアクション・ペインティングや、戦前の抽象画の一大勢力だった幾何学的抽象を敵視し、形態も色彩もごくごく単純で平面的にすることで更なるイリュージョンの排除を意図していた。 そして抽象表現主義は1960年ごろから影響力を失い始める。あまりに還元主義的な理論は、絵画を次第に堅苦しく単調なものとし、運動は硬直化を始めていた。そこへネオダダやポップアートなど、廃物や大衆的なイメージなどを流用した具象的な美術が現れて抽象表現主義に対する反発がはじまった。美術界や大衆はそれらに激しく反発しつつ、次第にその流れを支持するようになった。パトロンたちはポップアートをより楽しめる作品だと歓迎し、冷戦下の文化戦争の当事者たちもアメリカの豊かさと自由をより訴えることのできる美術だと評価した。 評論家レオ・スタインバーグ(英語版)は、ネオダダの作家ジャスパー・ジョーンズらの国旗や標的をそのまま画面いっぱいに描いた作品を、もともと「フラット」な記号を選ぶことで、さらにそれをわざとむらのある筆触で描くことで一層平面的に見せ、形式的には平面をおしすすめることに成功し、一方文学的な内容を導入することなく、日常の記号を美術に取り入れて非文学化しており、形式対内容の争い(フォーマリズム)を超え、総合した次元に至っていると解説する。さらに抽象表現主義の色面の世界は、平面的に見えながら実は空間や雰囲気をかもし出して見る者はその画面の中に意識を浮遊させることができる「擬似平面的」なものだが、ラウシェンバーグの絵画は単なる記号なので意識を画面中に入れることのできない完全な平面である、と抽象表現主義を論難した。 ローゼンバーグやグリーンバーグは当初ポップアートを俗悪だと批判したものの、旗色の悪さは鮮明で、のちにポップアートのいくつかを認める発言を行っているが、影響力は失墜した。抽象表現主義やフォーマリズムは影響を失ったが、抽象表現主義の美術家たちはその後も一貫して制作を続け、後の画家にも影響をあたえている。たとえば、ハードエッジは、1960年代後半の抽象主義の逆襲ともいえるミニマルアート(ミニマリズム)につながっている。また1990年代以降、グリーンバーグらのフォーマリズム理論は改めて評価されている。
※この「運動の終わりと影響」の解説は、「抽象表現主義」の解説の一部です。
「運動の終わりと影響」を含む「抽象表現主義」の記事については、「抽象表現主義」の概要を参照ください。
- 運動の終わりと影響のページへのリンク