運動の終結
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1918年(大正7年)10月11日から三日間岡県会議事堂で再臨講演会が開かれた。その後、11月8日から三日間神田YMCAで基督蔡倫研究東京大会を、宣教師数名とともに各派合同で開催した。 1919年(大正8年)1月17日から三日間内村鑑三は大阪中之島公会堂の再臨研究関西大会に出席した。1月19日には2300人の聴衆を前に「伝道と基督の再臨」と題して、最後の再臨講演を行った。以降内村鑑三は熱狂的な運動から身を引いた。しかし、終生再臨信仰を保ち、YMCAでの聖書講演会では再臨問題を度々述べた。 一方、日本ホーリネス教会では、この運動がきっかけになり、淀橋教会でホーリネス・リバイバルが起きることになった。 この時期にキリストの再臨運動が強調されたのは、第一次世界大戦を通して、西欧文明の破綻が明らかになり、科学の進歩や合理主義について深刻な反省が生まれてきたことである。 この運動をきっかけに、各地の教会に熱烈な信仰復興が起こり、キリスト教界に大きな影響を与えた。
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