連続強制わいせつ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:17 UTC 版)
※以下、肩書などはいずれも当時のものとする。また時刻はいずれも日本標準時(JST・UTC+9)で統一する。 1991年11月上旬には肩・腰などを痛めたことで沖縄の秋季キャンプから離脱し、それ以降は横浜大洋ホエールズ総合練習場(神奈川県横須賀市長浦町)で練習していたが、秋季キャンプ離脱以降は「何をやっても嫌な状態で野球に対するやる気がなくなり、精神的に不安定な状態」に陥っていた。1991年11月12日15時5分ごろ、中山は横浜大洋ホエールズ総合練習場で練習をしてから自宅(横浜市緑区若草台)へ車で帰宅していた途中、横浜市金沢区六浦町の住宅街で近隣住民の小学4年生女子児童(事件当時10歳)に対し、スカートの裾から手を入れるわいせつ行為をした。その直後となる同日15時10分ごろには住宅街で小学5年生少女(当時11歳)に対し自分の下半身を露出したままスカートの上から尻を触るわいせつ行為を行い、さらにその直後(15時15分ごろ)、同所付近にあった建物の階段で帰宅途中だった幼稚園児の女児(当時6歳)をいきなり後ろから抱き上げ、下着を脱がせるなどわいせつな行為をした。 神奈川県警察が事件現場周辺を調べたところ、現場には犯人の体液が遺留されていたほか、「犯人が犯行後に被害者へ手を振り『バイバイ』と声をかけていた」とする証言も得られた。横浜市内では同年秋ごろから女児への連続強制わいせつ事件が発生していたため、県警は捜査本部を設置した上で、12日の事件を同一犯の仕業と推測し、被害が多発した時間帯に捜査員が現場付近を警戒するなど、張り込み捜査を進めていた。その結果、2日後(11月14日15時ごろ)には、白・グレーのツートンカラーのベンツに乗った若い男が現場付近で車を降りて周辺を約15分間うろついたり、女児に声を掛けたりするなど、不審な行動を取る姿が捜査員により確認された。そのため車のナンバーを照会したところ、中山が割り出され、ベンツを尾行して捜査を続けたところ、その後も同月中の計4回にわたり現場でうろつく中山の姿が目撃された。そして神奈川県警が被害者の子どもたちに中山の顔写真を見せたところ、証言から「中山に間違いない」との結論が出た。 一方、中山は逮捕前の同年12月16日 - 23日にかけ、山形県・大野目温泉で若手投手らの自主トレーニングに交じって参加し、逮捕される前日(24日)朝に横浜へ帰っていた。また24日昼には買い物のため出歩いていたところ、横浜市中区内の球団事務所があるビルの入口で大洋球団社長・岡崎寛と偶然出会い、普段通り挨拶をしていた。
※この「連続強制わいせつ事件」の解説は、「中山裕章」の解説の一部です。
「連続強制わいせつ事件」を含む「中山裕章」の記事については、「中山裕章」の概要を参照ください。
- 連続強制わいせつ事件のページへのリンク