連合国軍進駐とは? わかりやすく解説

連合国軍進駐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 06:08 UTC 版)

第一次インドシナ戦争」の記事における「連合国軍進駐」の解説

連合国一般命令第1号1945年9月2日公布に基づき北緯16度線以北中国国民党軍に、以南イギリス軍割り当てられフランス軍本格展開するまでの間、進駐する事となった。同年8月末には北部ベトナム盧漢将軍率い国民党軍180,000規模部隊進駐南部ベトナムには9月12日ルイス・マウントバッテン率い英印軍第一陣が上陸しそれぞれ日本軍武装解除着手したフランスは、ジョルジュ・ティエリ・ダルジャンリュー提督高等弁務官任命し、軍からは本国軍2個師団派遣決定しフィリップ・ルクレール将軍を長とするフランス極東遠征軍団編制され9月12日マダガスカル旅団第一陣にして出発10月5日先遣部隊サイゴン到着ルクレール同月9日ジャック・マシュ大佐率い行進群と一緒に到着した11月までの間に3派に分かれて第3機械化師団と第9植民地師団到着した空軍輸送機戦闘機中心に100機を派遣海軍はフィリップ・オーボワノ提督を長とする護衛艦隊率いて戦艦リシュリュー」、軽巡洋艦「グロワール」、大型駆逐艦ル・トリオンファン」、空母ベアルン」が極東海域展開した北部では、進駐国民党軍共産主義敵視政策により、ホンガイ炭鉱などで多くベトミン労働者逮捕追放された。そのため臨時政府は非共産主義者入閣させ、1945年11月にはインドシナ共産党偽装解散した以後インドシナ共産党1951年ベトナム労働党となるまで、非合法組織として活動する1946年2月フランス中華民国間で重慶協定締結されると、国民党軍4月以降順次撤退したフランスは同協定国民党軍撤退代償として、中国でのフランス租借権放棄雲南鉄道中国譲渡ハイフォン港自由化・在インドシナ華僑対す優遇措置などを受け入れた

※この「連合国軍進駐」の解説は、「第一次インドシナ戦争」の解説の一部です。
「連合国軍進駐」を含む「第一次インドシナ戦争」の記事については、「第一次インドシナ戦争」の概要を参照ください。

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