連合国陸軍の成立と軍制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 09:04 UTC 版)
「アメリカ連合国陸軍」の記事における「連合国陸軍の成立と軍制」の解説
連合国議会は連合国陸軍の軍制を制定するに当たり、合衆国陸軍のそれを模倣した。これによれば、連合国陸軍は有事に編成される大規模な暫定軍と、平時から編成される小規模な常備軍によって構成されていた。開戦直前の1861年2月28日、連合国議会では義勇兵から成る暫定軍の編成が可決され、また一週間後の3月6日に常備軍の設置が可決された。これら2つの陸軍は制度上共に存在していたものの、常備軍の規模は非常に小さかった。 連合国暫定軍(Provisional Army of the Confederate States, PACS)は1861年2月28日に連合国議会の承認を受け、4月27日から編成が始まった。士官から徴用兵まで、ほとんどの連合国陸軍将兵は暫定軍への所属を好んだ。これは常備軍よりも暫定軍の方が昇進しやすかった為である。仮に内戦に勝利した場合、暫定軍は解散され、常備軍のみが連合国陸軍として残される予定だった。 アメリカ連合国陸軍(Army of the Confederate States of America, ACSA)は、連合国の常備軍であり、1861年3月6日に連合国議会が承認した。将校744名を含む15,015人を定員と定めていたが、これが達成されることは最後までなかった。サミュエル・クーパー(英語版)やロバート・E・リーなどの高級将校は、全ての義勇兵将校よりも高位である事を示すべく常備軍に名を置いていた。一部の将校の任命や選考以外に目立った活動が行われなかった為、常備軍はほとんど机上のみに存在する軍隊であった。後に3州の連隊に対して連合国連隊("Confederate" regiments)の称号が与えられたが、結局連合軍の組織化には繋がらず、それら連合国連隊自体も決して戦力的に満たされたものではなかった。 アメリカ連合国の陸海軍および海兵隊の将兵は、しばしば単にConfederates やConfederate soldiers と総称された。また、連合国陸軍の補助組織たる州民兵(State Militias)も設置されていた。これは連合国政府の主導で設置されており、合衆国が1792年民兵法(英語版)に基づき設置した民兵と同等の組織と見なされた。 陸軍の設置に先立つ1861年2月21日、連合国陸軍の運用および指揮を担当する省庁たる連合国陸軍省(Confederate States War Department)の設置に関する法案が連合国臨時議会にて可決している。1861年2月28日と3月6日、連合国議会は軍事上作戦上の指揮権限および各州の常備軍・義勇軍将兵の招集に関する権限を連合国大統領に付与した。これに続いて3月8日にはデイヴィス大統領に100,000名以下の国民を招集する権限を認める法案が連合国議会にて可決した。これに基づく要請を受けた連合国陸軍省では、3月9日に8,000名、4月8日に20,000名、4月16日に49,000名の義勇兵を招集した。4月29日、デイヴィスは議会にて陸軍の規模を100,000名程度と定める提案を行なっている。 1861年8月8日に合衆国が反逆鎮圧の開始を宣言した後、連合国では3年をかけて400,000名の義勇兵を招集した。1862年4月、連合国議会にて徴兵法が可決して連合国陸軍にも徴集兵が入隊しはじめた。さらに連合国議会では何度か徴兵対象年齢の範囲を広げ、連合国国民を総動員する事を計画した。この改正案は先立って5つの州最高裁判所(state supreme courts)で議論され、5つともで賛成を得ている。
※この「連合国陸軍の成立と軍制」の解説は、「アメリカ連合国陸軍」の解説の一部です。
「連合国陸軍の成立と軍制」を含む「アメリカ連合国陸軍」の記事については、「アメリカ連合国陸軍」の概要を参照ください。
- 連合国陸軍の成立と軍制のページへのリンク