連合国陸軍における黒人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 09:04 UTC 版)
「アメリカ連合国陸軍」の記事における「連合国陸軍における黒人」の解説
多くの白人男性が徴兵された結果、連合国では社会的に重要な職務の多くが黒人奴隷たちに委ねられる事となった。またジョージア州知事ジョセフ・E・ブラウン(英語版)も、「今や国家と軍は奴隷労働者による貢献に大いに依存している」と述べている。 奴隷らを徴兵の対象とする構想は開戦当初から存在していたものの、デイヴィス大統領ら政府高官が難色を示していた為に実現していなかった。しかしパトリック・クリバーン将軍による「解放を提供することで黒人兵の増加を図ってはどうか」という提案により議論が再燃し、後にリー将軍もこれを支持する書簡を連合国議会に送った。1865年3月13日、黒人の入隊を認める一般命令第14号(General Order 14)が連合国議会を通過し、デイヴィス大統領による署名が行われた。同命令は3月23日より発効したが、これにより入隊した黒人はおよそ1個中隊程度でしかなかった。この黒人部隊は補強戦力として包囲を受けつつあったリッチモンドへと派遣された。ある連合国陸軍少佐は、1865年にリッチモンドで戦った小規模な部隊こそが「我が方における最初にして最後の黒人部隊である」と語った。しかし実際には他の部隊にもいくらかの黒人兵が所属していたとされ、例えば1863年7月11日の『ニューヨークヘラルド』紙が報じたところによれば、ゲティスバーグの戦いで捕えた捕虜の中に南軍の制服を着用した黒人兵数名が含まれていたという。実際に何人の黒人が連合国陸軍に参加したのかは明らかではないが、1890年に合衆国が行った統計調査では3,273名の黒人が連合国陸軍の退役軍人であったとしている。
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