追加法と反乱とは? わかりやすく解説

追加法と反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:27 UTC 版)

ブラジル帝国の歴史」の記事における「追加法と反乱」の解説

アト・アディシオナル(英語版)(「追加法」)と呼ばれる憲法改正1834年8月12日発布された。改正には国家評議会廃止行政上と政治上の地方分権による連邦制採用などが盛り込まれた。しかし、地方分権地方の不満を低減させるどころかますます燃え上がり北部と南部では内戦勃発した地方分権により、各州支配する政党選挙政治制度をも支配するため、党派紛争熾烈極めた選挙敗れた党派実力行使出て武力権力奪取しようとした。しかし、反乱起こした党派でも正当性主張するために皇帝への支持表明した(すなわち、皇帝対し反乱したのではないと主張した)。カバナジェン(英語版)(1835年 - 1840年)、サビナダ(英語版)(1837年 - 1838年)、バライアダ(英語版)(1838年 - 1841年)の反乱軍はいずれ同様の主張をした。一部の州が分離試みてペドロ2世成年するまで共和国として独立しようとしたときも同様にペドロ2世支持主張した。ファラーポス戦争英語版)は例外であり、この戦争もまたリオグランデ・ド・スル州党派紛争引き金になっていたが、アルゼンチン独裁者フアン・マヌエル・デ・ロサス支援得たため、すぐに分離主義者の反乱発展した。しかし、数多く反乱のうち最大規模であるファラーポス戦争においても、大都市を含む住民大半帝国支持した1835年4月新し摂政選出するための選挙が行われた。結果はどの候補多数票を得ることができずに終わったが、当選者現地派の指導者フェイジョで、彼は10月12日就任した。そして、ペドロ1世1834年9月24日急死したとの報せが届くと、復帰派は国政での影響力失った復帰派の多く経済社会思想において立場の近いコインブラ党に加入した。彼らはいずれ王党派であり、フェイジョ反対した。コインブラ党はペドロ1世復帰強く反対したが、ペドロ1世死去したことで両派の差が縮まり、結果的には両派は接近した1834年10月にカルネイロ・レオン(コインブラ党)が復帰派との交渉開始フェイジョ以外の摂政候補支持するうになると、後の保守党となる党派ひな型形成したフェイジョ就任すると、議会への責任感じない独裁者としてふるまうようになった1837年になると、フェイジョ政府信用支持失った北部と南部蜂起未だに鎮圧されておらず、ブラジル課題は全く対処されなかった。活力取り戻したコインブラ党はフェイジョ不正行為追求して彼を追い落としフェイジョ1837年8月辞任した後任コインブラ党のアラウジョ・リマであり、彼は自党党員軍部首脳部任命したコインブラ党は「権力を掌握した。クーデターによるのではなく君主寵愛に基づくものでもなく、議会少数派をねじ伏せてなしたことである」。 これにより中道派解体した。また、1837年5月には中道派結束維持していたエヴァリスト・ダ・ヴェイガ・エ・バロス(英語版)が死去したコインブラ党はブラジル秩序回復目指す政策をとった。1834年追加法に基づく新法採択され地方警察裁判所支配権中央政府戻した新法により中央政府反乱対処力が大きく強化されたが、1834年憲法改正定められ地方行政的政治的自治変更されなかった。コーヒー輸出1820年代に4倍まで増え1829年から1835年までの間でさらに倍に増えており、コインブラ党はリオデジャネイロ市のちょうど北にあるパライバ盆地英語版)のコーヒー業との関係を強化することで信用増した経済好況より政府の収入増え借款を得る能力強化されたことで情勢改善したフェイジョ率い現地派はほかの少数野党連合した。しかし、これらの野党寄せ集めであり、思想上の共通点はなかった。「急進共和派中道改革派、自由王党派、元復帰派などを含む実利的な同盟であった」。この派閥1840年代第二自由党」の前身になった政敵永遠に権力の座留まり続けることを恐れた自由党ペドロ2世成人とする年齢の引き下げ呼び掛けた。彼らは摂政追い払って、若い皇帝言いなりにすることで影響力取り戻そうとした。「(政治の)経験がない皇帝自分権力の座につかせた人物操られる可能性がある」。そのため、彼らはアウレリアノ・デ・ソウザ・エ・オリヴェイラ・コウチーニョ(英語版)(後のセペチバ子爵フェイジョ1832年7月30日クーデター支持していた)率いる「宮廷派」を支持した宮廷派はペドロ2世に近い政治家や高級使用人の間で結成され派閥である。

※この「追加法と反乱」の解説は、「ブラジル帝国の歴史」の解説の一部です。
「追加法と反乱」を含む「ブラジル帝国の歴史」の記事については、「ブラジル帝国の歴史」の概要を参照ください。

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