車種とメーカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:27 UTC 版)
1950年代後半から1960年代前半にかけては日産自動車製やトヨタ自動車製の導入も見られた。戦後のバス事業再開時は様々なメーカーの車両が採用されていたが、1950年代中頃に民生デイゼルのRRバス(BR系・RF系)を性能的に高く評価し、また納期の確実性などから日産車・日産ディーゼル車の比重が高くなり、1970年代までに藤沢・横浜両営業所には日産車・日産ディーゼル車、鎌倉営業所(後の裏八幡車庫)、大船営業所(現:鎌倉営業所)には三菱ふそう車が集中配備され、少数派のいすゞ車は1970年代から1980年代には藤沢営業所に集中される図式が成立した。 その当時は藤沢営業所において、高根線(藤沢駅 - 高根)ほぼ専用のナロー型ツーマン車はいすゞBA10N(社番115・116)であったが、1980年12月9日の116号車置き換えに際しては日産ディーゼルK-RM80Eが導入された。ただし、8.6mクラス(短尺車)の標準幅ツーマン車(日産NUR690、いすゞBA743、いすゞBA10)が数台在籍していた当時は、運用の都合でナロー車を他路線のツーマン運用に充当し、標準幅車が高根線に入線する事もしばしばあった。1970年代以前から集中配備の傾向は強かったが例外も多数あり、各営業所に複数メーカー車が混在していた。しかし1975年10月16日に大規模な配転を実施した結果、同一営業所(鎌倉営業所横浜支所は本所と別個とみなす)には同一メーカー車でほぼ統一された。1976年7月には例外的に、当時長尺路線車の配置が無かった鎌倉営業所(本所)に日産ディーゼルU20Nが7台新製配備されたが、翌1977年9月にふそうMP117Nの新製配備を受けて全車横浜支所に転属している。 また、これ以前は転属を頻繁に実施しており、顕著な例では在籍期間中に5回転属し、藤沢、鎌倉、大船、横浜の各営業所を数年おきに渡り歩いた車両が、1963年式ふそうMR470の中に2台存在したが、以後はあまり実施されなくなった。ただし、これ以後も各営業所の車両需給と使用年数均衡化の関係から、廃車時期まで1~2年と迫った経年車を転属させる措置は時折実施されており、所属車両の中に他メーカー車が1~2台混在する事象は度々発生している。 2000年代頃までのいすゞ自動車製は数台が導入されている程度であった。いすゞ車の在籍は、1983年7月11日(書類上は7月13日)に最後の中扉ツーマン車であるBA10(1971年式、社番117)の廃車でいったん途絶えた。その後、1988年8月30日にP-LR312F(短尺車)を、前述の高根線用の日産ディーゼルK-RM80Eの代替として導入した。続いて1991年2月22日からは大型車U-LV324Qの導入があり復活した。 小型車は過去には日産ディーゼル・RNも在籍していたが、日野自動車製の割合が高く、ミニバス路線用のリエッセ・ポンチョが在籍し、近年は車両代替によりポンチョが増備されている。日野車はそのほか、定期観光バス用のマイクロバスリエッセII、鎌倉市のパーク&ライド用のレインボーHR(7m車)など、長らく小型車のみであったが、2014年に初の大型路線車としてブルーリボンIIが導入された。また2016年・2017年に大型路線車にブルーリボン(2代目)が導入された。 高速路線・貸切観光・定期観光用は、日産ディーゼル製と三菱ふそう製が導入されている。特定車は、学校送迎用のいすゞ・エルガや2代目ガーラミオ、鎌倉プリンスホテル送迎用の日産・シビリアンなどが在籍する。
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