諸勢力との戦いと勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:48 UTC 版)
「フマーユーン」の記事における「諸勢力との戦いと勝利」の解説
父が死去したとき、フマーユーンは極めて不安定な地位にあった。帝国の領土はカーブルとカンダハールを含み、ヒンドゥークシュ山脈を越えてバダフシャーンをも緩く支配していたが、フマーユーンの領土はジャウンプルからデリー、パンジャーブとインド北部の限られた地域のみしか支配力が及ばなかった。 これはフマーユーンの3人の弟たちにも、帝国の統治が委ねられていたからである。フマーユーンには、3人の弟がいた。次兄カームラーン(英語版)、三男アスカリー(英語版)、末弟ヒンダール(英語版)である。 次兄カームラーンは、父よりカーブルとカンダハールの支配を任されており、加えて彼はそれだけの地域では満足せずにラホールとムルターンを占領した。フマーユーンはカームラーンが自身の宗主権を認めたためこの行動を黙認し、また西部辺境地帯に悩まされず東部辺境地帯を自由にできるということで、さらにパンジャーブとムルターンを割譲した。また、その下の弟であるアスカリー、ヒンダールらも広大な領土を任されており、彼はフマーユーンに対して表面上は忠誠を誓いながらも皇位を狙っていた。彼らもカームラーンと同様に機会さえあれば、同じくフマーユーンを軽んじる可能性があり、フマーユーンにとって潜在的な敵であった。 そのうえ、バーブルが滅ぼしたローディー朝の君主イブラーヒームの弟であるマフムード・ローディーらのアフガン勢力が王朝再興を目指して行動していた。インド南西でもグジャラート・スルターン朝の君主バハードゥル・シャーはラージプート諸王を破り、アーグラへと着実に進軍していた。 1531年7月、フマーユーンはラクナウ郊外でマフムード・ローディーの軍に勝利した。これにより、ローディー朝再興の望みは立ち切られた。 また、ビハールでスルターンを称していたアフガン系スール族のシェール・ハーンがいたが、フマーユーンはシェール・ハーンをチュナールに包囲した。彼は4か月後にその城を保有し続けることを条件に、帝国に忠誠を誓い息子の一人を人質にすることで、降伏を申し出た。フマーユーンもまた、アーグラを脅かす存在となっていたグジャラートのバハードゥル・シャーが気にかかっていたので、アーグラに戻る必要があったのでこの降伏を受け入れた。 このとき、フマーユーンはシェール・ハーンに勝利したことに満足して彼を殺害せずにいたが、この判断はのちにムガル朝が一時中断することに繋がった。また、自身の軍事力が割かれることを危惧して、部下の貴族をチュナールの城塞に残すこともしなかった。 グジャラートのバハードゥル・シャーは有能かつ野心家的な君主であり、1526年に即位すると、1531年にはマールワー・スルターン朝を滅ぼし、マールワーを版図に加えた。さらに、ラージャスターンに進撃し、メーワール王国の首都チットールガルを包囲していた。そのうえ、彼のもとにはムガル帝国に滅ぼされたローディー朝の残党を匿い、シェール・ハーンなど東方のアフガン勢力と連絡を取っていた。 フマーユーンはシェール・ハーンを打ち破ったのち、アーグラに戻ると、アーグラからグワーリヤルに移動した。バハードゥル・シャーもまたその介入を恐れ、メーワール王国と講和して多額の賠償金を現金と現物で徴収すると、チットールガルをその王のもとで統治させた。 1535年、フマーユーンはバハードゥル・シャーを破り、カンベイまで追撃し、バハードゥル・シャーはディーウに逃げた。彼はグジャラートとマールワーを制圧し、帝国の版図を倍増させた。この2つの州は豊かな州であり、加えてグジャラートのチャーンパーネールとマールワーのマーンドゥーには多額の財宝があり、それらが全てフマーユーンのものとなった。フマーユーンには戦才があり、チャーンパーネールの城砦を攻めたときなどは自ら城壁を梯子で登るほど勇敢だったという。 だが、フマーユーンは手に入れた新領土の支配体制の確立を怠った。彼はグジャラートを弟アスカリーに委ね、自身は中央に位置するマーンドゥーに戻り、そこで快楽に溺れた。フマーユーンはそこの穏やかな気候に満足し、マーンドゥーに滞在し続けた。 一方、統治を任されたアスカリーは経験が浅く、貴族らは分裂しており、バハードゥル・シャー配下の貴族、民衆の反乱が勃発した。そのうえ、バハードゥル・シャーは急速に権力を回復し、旧領の奪還のために進軍した。アスカリーはグジャラートから撤退したが、マーンドゥーにいるフマーユーンに会う気になれず、アーグラへと戻った。 ここにきてフマーユーンはアスカリーがアーグラを奪って別の帝国を築く可能性を危惧し、マールワーを捨て、マーンドゥーから強行軍でアスカリーを追った。彼はラージャスターンでアスカリーに追いつき、そこで2人は和解して、アーグラへと戻った。だが、グジャラートとマールワーは帝国の統治から離れてしまった。
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