語源学的アプローチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:51 UTC 版)
匈奴と他の「フン」と呼ばれる諸族を関連付けられる最も重要な証拠とされているのが、その名である。関連が想定されている言語と言葉としては、中国語のXiōngnú(匈奴)、ギリシア語のΟὖννοι (Ounnoi、ウーノイ)、ラテン語のHunni(フンニ)、ソグド語のXwn、サンスクリット語のHūṇa(フーナ)、パフラヴィー語のẊyon、アルメニア語のHon-k’である。H・W・ベイリー(1954年)は、ẊyonがHunと同一であることは、シリア語文献でHūnと読む語が、ペルシアの文献におけるẊyonを指すものとして使われており、またゾロアスター教の文献においてẊyonという語がサンスクリット語におけるHūṇaを指す語として用いられていることからもわかると主張した。またエティエンヌ・ド・ラ・ヴァシエールは、XiōngnúとXwm、Hūṇaが同じ民族を指していたことを示した。その他、アルハン・フンはALXONOと自称していたことが硬貨の銘から分かるが、xonoとはすなわちHunである。また彼らはインドの文献でHūṇaと呼ばれている。エフタルは硬貨の銘でOIONOと自称しており、Hunとの関連がうかがえる。またギリシアの歴史家プロコピオスは彼らを「白いフン(英語版)」と呼び、サンスクリット語の著述家は「白いフーナ」(Śvēta Hūṇa) と呼んでいる。中国の歴史書である『魏書』ではバクトリアのキダーラ朝の君主を温那沙(Wēnnàshā)と呼んでいる。ヨーゼフ・マルクヴァルト(英語版)はこれをHūnastanあるいはHūnashāhと解釈し、「フン族の国」または「フン王」を意味していると考えた。これに対し榎一雄はこれをOnnashāhと呼んで「匈奴王」の意味であると解釈し、ソグディアナが匈奴に征服支配されたことを示していると主張した。クリストファー・アトウッドはOnnashāhをフン族の王を指す語の中国語転写であると解釈した。東ローマ帝国は、この集団をフン族と呼んでいた。 こうした説に対し、デニス・サイナーは「2つの名がたまたま一致した」に過ぎないと主張している。メンヒェン=ヘルフェンはイランのフン(キオン(英語版)、エフタル、フーナ族) の名が同一であることには同意したものの、そこに何か意義を見出そうとする向きには否定的である。彼は、「HunsとHsiung-Nuは似た名を持っているかもしれないが、それでもワロン人(Walloons)とウェールズ人(Welsh)、ヴェネツィア人(Wenetians)とヴェンド人(Wends)くらいには違う」と述べている。リチャード・フライは、インドの「フン」たちは敵を恐れさせるためにあえてその名を名乗ったのだと主張している。H・W・ベイリーやデニス・サイナーなどの学者は、Ẋyonというイランの言葉は「敵」を意味するもので、そこから派生したHunは特定の集団を指さない遊牧民の総称であったと考えている。一方でド・ラ・ヴァシエール、アトウッド、キムらはこのサイナーらの語源解釈を全面的に否定している。ド・ラ・ヴァシエールとキムは、ヨーロッパとイランの「フン」が明白に同じ名前を使っており、それが「彼らが、古きステップの帝国的な壮大さを持つ伝統による結びつきが価値があり重大で、起源的な同一性とおそらくは将来的な野望の表れであると捉えていたことをはっきりと示しているものである」と述べている。 また匈奴・フン同族説の中核を成すXiōngnúとHunの類似事態についても議論の余地がある。メンヒェン=ヘルフェンは、匈奴(Xiōngnú)という名は本来の彼らの自称を中国王朝がおおまかに中国語に転写したに過ぎない点を指摘している。彼は新の王莽が「屈従する」という否定的な意味を込めて匈奴を降奴(Hsiang-nu)と改称し、また後には「礼儀正しい」という肯定的な意味を込めて恭奴(Kung-nu)と改称した例を引き合いに出している。さらにクリストファー・ベックウィズは、上古中国語における「匈奴」の発音が正確には分かっていない点を指摘している。中古中国語では*χoŋnʊまたは*χʲoŋnʊと発音されていたと推定されている。上古中国語では最初の発音がsであり、これが後からχに変化した可能性もある。この場合はむしろ、イラン語群におけるサカ(Saka)あるいはスキタイ(skuδa)と関連している可能性もある。E・G・プーリーブランクは、上古中国語での発音を*flông-nahに近いものと推定し、ギリシアでフロウノイ (Φροῦνοι)と呼ばれていた遊牧民族と結び付けている。 アトウッドは上古中国語における「匈奴」の発音を*x(r)joŋ-na、*hɨoŋ-na、*hoŋ-na、*xoŋ-naなどと推定してベックウィズやプーリーブランクの説を否定したうえで、他にも西洋におけるHunとXiōngnúを結び付けるにはいくつもの問題点があると指摘している。 Xiōngnúは二音節語だが、ソグド語、アルメニア語、シリア語、ペルシア語で対応しているとされる語はいずれも一音節語であり、ギリシア語やラテン語も二音節目は格変化語尾に過ぎないと考えられ後者に近い。 Xiōngnúの最初のxは無声軟口蓋摩擦音だが、サンスクリット語、アルメニア語では有声声門摩擦音のhとなり、ギリシア語では摩擦音ですらない。 Xiōngnúには軟口蓋鼻音(ŋ)が含まれるが、サンスクリット語ではそり舌鼻音(ṇ)が入り、それ以外では歯茎鼻音(n)になっている。 Xiōngnúでは母音の前に半母音(ʲもしくはɨ)が入るが、同様に母音の前に半母音が入るのはペルシア語のみである。 以上の問題点を解決するため、アトウッドは西方のすべての語はサンスクリット語のHūṇaから直接あるいは間接的に派生したものであり、Hūṇaと同根のものを中国語に転写したのがXiōngnúであるとし、後者はギリシア語のコーナイ(Χωναι)に相当する、という仮説を立てた。さらにアトウッドは、ペルシア語のẊyonは語源学的に他と無関係であり、単にHunに似ている古風な名前に過ぎない、と主張した。 Hunについてド・ラ・ヴァシエールはフン諸族の内名であると主張したのに対し、アトウッドはイラン諸語を話す商人や通訳者が使った外名ではないかと指摘している。
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