規範と服装とは? わかりやすく解説

規範と服装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 03:44 UTC 版)

フランス領カナダの防衛軍」の記事における「規範と服装」の解説

防衛軍構成は様々で、組織規範制定されたのは1757年になってからだった。それぞれの部隊部隊長率いられ部隊長の名前が部隊となった規範制定後は、部隊長のほかにもう一人士官と、下級士官とが隊に入りまた、上官代理少尉(エンスン)、2人軍曹に3人の伍長、そして2人鼓手、それから将来士官となるべきカデット2人配置された。コンパニは、元々はフランス本国で、16歳上で身長が5フィート5インチ(約1.65メートル)以上の男性から召集されたが、1687年以後ヌーベルフランス入植者から選ばれた。 しかしながらコンパニ軍隊として完璧とは言い難い面もあり、入植地コンパニ指導者本国指導不満げであった1757年当時総督ヴォードルイユは、ヌーベルフランスの軍は250不足していると不満を漏らしている。また、人数不足しているにもかかわらず入植地主だった町や入植地経済にとって大事な毛皮交易交易所警備のために、あちこち兵士派遣していたりもした。コンパニのこの職務には、パンベーコン乾燥豆といった軍用食配給され軍服1年おきに交換された。 兵士たち軍服は、1750年までは灰色がかった 白の外套三角帽子バックルのついた革靴と白のスパッツチョッキのついた青の衣服靴下、そして膝丈のズボンだった。また、コケイドやボタン飾られた黒の三角帽子かぶった戦場動きやすさを求められるため、外套の裾はめくり上げられるようになっていた。伍長外套カフスには、黄色のウールレースで階級章入り士官兵士よりもい生地制服着てボタン金メッキ帽子にも金のレース縁取りをつけた。鼓手は青の外套真鍮ボタンカフス裏地が赤、ズボン靴下も赤だった。これらの軍服はすべてフランスで調達されカナダ送られた。 兵士は、それぞれの薬莢弾薬入れマスケット銃と共に持ち歩いたその時々によって、マスケット銃ではなく火縄銃ライフルを持つ場合もあった。彼らのマスケットは、イギリス軍兵士のものよりも軽めにできていた。冬は、フード付き外套モカシン手袋、そしてかんじきといった、寒冷な気候対応した装備となった戦時除けば以外の職で収入を補うことも可能で、任地農作業をしたり、要塞や道を作るのを手伝ったりした。

※この「規範と服装」の解説は、「フランス領カナダの防衛軍」の解説の一部です。
「規範と服装」を含む「フランス領カナダの防衛軍」の記事については、「フランス領カナダの防衛軍」の概要を参照ください。

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