規範ミサ「ミサ・ノルマティーヴァ」
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「新しいミサ」の記事における「規範ミサ「ミサ・ノルマティーヴァ」」の解説
1964年、教皇パウロ6世は、コンシリウムと呼ばれる「典礼憲章実行委員会(Consilium ad exsequendam Constitutionem de Sacra Liturgia)」を作り、典礼聖省発布の1964年9月26日付けの指針『インテル・エキュメニチ』で、典礼に大きな変更を加え、1965年から効力を持たせようとした。 更に、1967年に『典礼憲章』を実行するための第2の指針『トレス・アビンク・アンノスTres abhinc annosが出された。 1967年10月21日に、アンニバレ・ブニーニが事務長を務める典礼憲章実行委員会(コンシリウム)は、新しいミサの草案(「ミサ・ノルマティーヴァ(Missa Normativa)」つまり「規範ミサ」と呼ばれた)を完成させローマで司教会議(シノドス)に提出した。この草案は、『典礼憲章』の論理的な結論として「儀式は簡素の美を備え、簡単明瞭であり、不必要な重複を避け」(『典礼憲章』34)、「祭儀における聖書の朗読を、いっそう豊富で、変化に富み、また、より適切なものに改訂」(『典礼憲章』35)した、「より簡潔にされなければならない。時代の経過につれて重複するようになったものや、有益でもないのに付加されたものは削除され」(『典礼憲章』50)たものであった。ブニーニは、あたかも信徒たちがグレゴリオ聖歌を歌いつつも典礼様式を全く理解してこなかったし、また典礼の単なる目撃者にすぎなかったかのように主張していた。 10月26日、シノドスではミサの規範版の原案について討議が行われたが、180名の司教のうち、71名が賛成、62名が条件付賛成、4名が棄権、43名が反対であった。パウロ6世はブニーニに見直しを求め、その後ブニーニは、6回にわたってミサに新しい聖変化の言葉で3つの典文 Canon(後の「奉献文」Prex Eucharistica)を作る許可と、聖変化の言葉から「信仰の神秘」Mysterium fidei を取り除く許可を求めた。パウロ6世は同意し、ブニーニは新しい典文の聖変化の言葉と合わせて今まであったローマ典文の聖変化の言葉を変えた。
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