覇権の行方とは? わかりやすく解説

覇権の行方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 00:07 UTC 版)

香川之景」の記事における「覇権の行方」の解説

織田家版図拡大讃岐にも影響及ぼしていた。天正4年1576年)、之景は香西佳清謀り香川元春三野栄久を使者として手みやげ大原真盛太刀持参し三好笑岩仲介信長属すことを請うた。信長喜んで使者饗応して之景に偏諱与えた使者も禄として各々が馬を一頭ずつ賜った。これより之景は名を信景と改めることになったそんな中天正5年1577年)、細川真之長治討伐兵を挙げ長治別宮浦で自刃してしまう。三好家讃岐より移った十河存保があとを継いだが、三好家混乱に陥ってしまう。 その状況見た毛利氏天正5年1577年)に讃岐侵攻羽床氏など三好方についた讃岐領主たちを破っている(元吉合戦)。この合戦直前より讃岐国内での香川信景書状が再びみられるようになり、香川氏毛利氏支援受けて讃岐復帰した考えられている。 ちょうどその頃土佐長宗我部元親四国平定すべく讃岐侵攻への準備進めていた。 翌天正6年1578年)、ついに土佐長宗我部元親軍勢讃岐乱入香川氏の属城である藤目城落とされた。斉藤師郷は土佐軍門降り、本篠城の財田常久討死土佐勢は九十九山城攻め細川氏政を駆逐し、仁尾城主細川頼弘、天神山城吉田兼久らも各地討死香川氏諸城次々と落城した。しかし信景は十河氏からの再三抗戦にも応じことはなかった。そして翌年、信景の弟、香川景全家老香川備前元へ大西頼包先日土佐方へ降った斉藤師郷から土佐国分寺の僧が使いとして送られてきた。その内容早々に味方になれば本領安堵されるというものであり、備前守はその由を景全に、さらに景全が信景へと伝えた。信景はそれを容れ、土佐方への恭順の意を僧へ伝えると僧は元親にその旨伝えた以後不戦約定交わし香川元春河田七郎兵衛河田弥太郎三野栄久の四人家老二人ずつ交代土佐へ遣わし質とする代わりに元親の次男親和香川家に入れることで和睦成立香川家は長宗我部家降伏というよりは、婚姻関係を結ぶことによって同盟者となり家の存続図られた。 しかし、香川氏長宗我部氏降った背景には別の事情があったと考えられている。それはこの頃毛利氏織田氏との対立避けて三好氏との戦いに臨むという長年方針転換して京都追放され足利義昭奉じて織田氏と戦う方針転換し十河存保三好氏新し当主認めて和睦してしまった。これによって、香川氏讃岐三好氏勢力圏として毛利氏認められたことで孤立することになってしまった。一方長宗我部氏にとってもこれまで対三好氏で連携していた毛利氏が敵に回ったものと受け止められていた(毛利氏三好氏和睦する前の長宗我部氏毛利氏影響下にある讃岐への侵攻控えてきた)。毛利氏三好氏による脅威感じ、かつ織田氏とも関係を結んでいた香川氏長宗我部氏の間で利害関係一致したことが両者和睦に向かわせたと考えられている。 土佐方と和睦した後、信景は岡豊へと参り元親に謁見した。長宗我部家中島重勝が奏者となり、進物に「長光太刀」、「二字国俊の刀」、真綿五百把、紬百反、紅花五斤、馬一匹、その他子息簾中に至るまで各々贈り物をし、元親も大い喜び厚く饗応して、能乱舞などをも催させ五日間の逗留の後に帰国したとある。それからまもなくして、元親は次子親和多度津送ってきた。名を香川家の通名である五郎次郎改め、信景の娘を嫁にして世継ぎとなった以後親和讃岐方面軍大将として転戦し中富川の合戦の際には西讃岐五千率いて参陣、十河城攻撃した第一次十河城の戦い)。また、信景自身外交によって香西氏羽床氏らへ土佐方への恭順説き降伏させている。また、引田の戦いでは秀吉の命によって十河氏救援のために渡海してきた仙石秀久の軍を大西と共に破った。そして天正13年1585年)、長宗我部元親四国のほぼ全域支配下収めた

※この「覇権の行方」の解説は、「香川之景」の解説の一部です。
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