西国大名の手伝い普請
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「寛保二年江戸洪水」の記事における「西国大名の手伝い普請」の解説
10月6日、幕閣の老中松平乗邑、同松平信祝、同本多忠良らの採決により、西国の10の大名が手伝い普請を命じられた。大名の手伝い普請の場合、幕府が必要な材木、坑木、鉄物などの供給を負担し、命を受けた大名が普請人足費、竹材木の伐採費、運賃、などを負担した。各藩は家老級の重臣を惣奉行にたて、家臣団を被害現場の復旧に出した。 肥後・熊本藩 藩主 細川宗孝 普請場所 江戸川 庄内古川 古利根川 中川 横川 綾瀬川 長門・萩藩 藩主 毛利宗広 普請場所 上利根川右岸 伊勢・津藩 藩主 藤堂高豊 普請場所 権現堂川 思川 赤堀川 鬼怒川 栗橋関所前 備前・岡山藩 藩主 池田継政 普請場所 上利根川左岸 烏川 神流川 渡良瀬川 備後・福山藩 藩主 阿部正福 普請場所 下利根川 但馬・出石藩 藩主 仙石政辰 普請場所 小貝川 越前・鯖江藩 藩主 間部詮方 普請場所 新利根川 讃岐・丸亀藩 藩主 京極高矩 普請場所 荒川 芝川 星川 元荒川 日向・飫肥藩 藩主 伊東祐之 普請場所 荒川 豊後・臼杵藩 藩主 稲葉泰通 普請場所 荒川 幕府は江戸在府中であった岡山、津、鯖江、出石、飫肥、臼杵藩の藩主には直接登城することを命じ、他の藩には奉書を送った。 熊本藩の場合、10月21日熊本に幕府老中捧書が届けられた。物頭兼普請奉行長谷川主水は命令を受け、大坂で資金調達をしたため、他藩士より遅れて江戸に着いた。12月7日普請開始。現場作業や小屋に関しては、江戸の町人や名主などの有力農民に請負をさせた。翌年4月30日、熊本藩重臣は老中の私邸に出かけ、普請が4月29日に完了したことを届け、翌5月1日は同様に江戸城に届けたが、咎めの言葉も労いの言葉もなかった。熊本藩の総出費は12万7280両であった。幕府からの褒賞はあったが、その額は他の小藩よりも少なかった。熊本藩からの幕府にたいする贈り物は、役人の役得とされるが、一部の者は受領を拒んでいる。理由はわからない。熊本藩は支払った金額から考えると、請負人を建てた方が安いと判断したが、商魂に武士道はかなわなかったと高崎は述べている。
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