稲葉泰通とは? わかりやすく解説

稲葉泰通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/31 06:32 UTC 版)

 
稲葉泰通
稲葉泰通像(臼杵市・月桂寺所蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 享保15年7月15日1730年8月28日
死没 明和5年7月2日1768年8月13日
改名 万治郎、治通、泰通
戒名 本源院殿一水宗滴大居士
墓所 東京都港区高輪東禅寺
官位 従五位下能登守右京亮
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
豊後臼杵藩
氏族 稲葉氏
父母 父:稲葉董通、母:河合氏
兄弟 泰通市橋長璉、通房、一柳末栄正室
正室牧野貞通の娘・清操院
弘通副通
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稲葉 泰通(いなば やすみち)は、豊後国臼杵藩の第9代藩主

略歴

元文2年(1737年)、父・稲葉董通の死去により跡を継ぐ。翌年には藩内の領民の多くが逃散し、寛保寛延年間には大火と風雨による災害が相次いで藩内は大被害を受け、その復興のために出費が莫大なものとなった。さらに幕命による手伝い普請も相次いで、藩財政は窮乏化の一途をたどった。このような中で明和5年(1768年)7月2日、39歳で死去した。跡を次男で正室清操院の子の副通が継いだが、1年足らずで夭逝したため、副通でなく庶長子の弘通が継いだことにして将軍御目見をした。

系譜

父母

正室

側室

  • あり

子女

  • 稲葉弘通(長男)生母は側室
  • 稲葉副通[1](次男)生母は清操院(正室)

脚注

  1. ^ 死後に弘通が内密で身代わりとなったため、「副通」は弘通の初名であったとされ、公式には存在を抹消されている。






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