表記と呼称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:17 UTC 版)
千木の文献上での初見は、『古事記』の出雲大社創建条の「氷木(ひぎ)」であり、また「冰椽」とも表記され、『日本書紀』の神武天皇紀にも表記は異なるが、「ヒギ」と読ませている。『延喜式』の祝詞において、「千木」の表記が現れることから平安時代中期には、「チギ」と読まれたとみられる。「椽」は垂木を意味する。日本の原初的な住居の建築様式を「天地根源造」というが、2本の垂木を交差させたものを両端に置き、その交差した所に棟木を載せ渡した造りである。垂木の棟木に接したところから上は、屋根よりも高くそびえ、この突き出た部分を千木と呼んだ訳だが、一説にヒギとは、「火を防ぐ」の意味であるとか、チギは「茅屋の木」の略称、または「違い木」の略称ともいわれるが、東風をコチということから、チギは「風木」という説が強く、神武紀の表記からも風除けの意味が秘められているとみられる。構造的にも強風避けとして、風穴が開けられている。千木が垂木の延長であるのに対し、鰹木は茅葺の押さえとして起こったものであり(同書 p.31.)、『古事記』の雄略天皇の条において、「堅魚を上げて舎屋を作る家あり」とあるのが初見である。 「鰹木」の名称は、形が鰹節に似ていることが由来とされる。鰹木は「堅緒木」「堅魚木」「勝男木」などとも書く。 近世の『和漢三才図会』(下 寺島良安 東京美術)では、千木は「知岐」、鰹木は「加豆手木」と表記される。三才図会の説明によれば、鰹木は、「大社で、8本、長さ5尺、径9寸、中社で、6本、長さ4尺、径5寸、小社で、4本、長さ4尺、径3寸」と記される。大きさと本数の指定は、宝亀2年(771年)2月13日の『太政官符』から記される。
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