衆院選立候補とサッチー騒動
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「野村沙知代」の記事における「衆院選立候補とサッチー騒動」の解説
1996年(平成8年)、沙知代は第41回衆院選に、新進党公認候補として、東京5区・比例東京ブロックから重複立候補した。 選挙結果は落選(小選挙区で次々点、比例で次点)であったが、選挙後の1999年3月31日に、TBSラジオの番組上で、以前に沙知代と舞台で共演した女優の浅香光代が沙知代の繰り上げ当選についてコメントを求められた際に沙知代を激しく批判したことをきっかけに、複数の芸能人や著名人などを巻き込む形でワイドショーなどのマスメディアで浅香と沙知代の間で批判合戦が繰り広げられた。 詳細は「ミッチー・サッチー騒動」を参照 この騒動の過程で、実弟の伊東信義が「沙知代が公表している経歴等はそのほとんどが嘘である」という告発を行ったため、浅香らは7月に、沙知代が1996年の選挙に立候補した際に選挙公報等に「コロンビア大学留学」「1972年に野村克也と結婚」などの計7件の虚偽の経歴を記載していたとして、公職選挙法第235条(虚偽事項の公表罪)違反の疑いで、沙知代を東京地方検察庁に告発した。検察の若狭勝検事と捜査員が、現地コロンビア大学で調査したところ、大学の事務当局には当時の留学生の学籍原簿や単位認定記録等自体が残っておらず、経歴詐称の証拠は得られなかった。一方、婚姻歴については息子・克則の出生日から逆算して、1972年当時には既に克也と「事実婚」の状態にあったと推定された(先述の通り、正式な婚姻の成立は1978年4月)。10月1日に検察は嫌疑不十分により不起訴としたが、沙知代はその後、選挙結果に伴って生じていた繰上げ当選の権利を辞退する意向を示した。 この学歴詐称の疑いについては先に、テレビ番組 『ザ・ワイド』(日本テレビ)が取材し、同大学の同窓会による卒業生名簿に、該当する名前がないことが判明していた。また、週刊誌の取材を受けた沙知代は、「読売の陰謀」、「コロンビア大学ではなく、コロラド大学に留学した。間違えたのは編集部のミス」などと答えるなど、曖昧で非合理な対応に終始していた。英語を流暢に喋る沙知代に克也が「どこで英語覚えたの?」と質問すると「コロンビア大学」と答え、親は社長をしていると発言していたが、克也によると沙知代は、両親を克也に一度も会わせることは無かったという。
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