衆院選立候補
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2009年7月、民主党は第45回衆議院議員総選挙の比例東海ブロックにおいて当初の想定以上の当選者を出すことが見込まれ、比例代表候補が足りなくなる恐れが生じた。このため公示直前になって比例代表候補を急遽増やす必要性に見舞われた。民主党執行部は「仕事を辞める必要がなく、立候補に必要な住民票などをその日のうちに出せる人」という条件を提示し、地方支部に急いで候補者を探すよう指示。これ受けた民主党参議院議員の谷岡郁子は、周囲の知人など数名に声をかけた。そのうちの一人が愛知万博の市民プロジェクトで知り合い、2007年の第21回参議院議員通常選挙に谷岡が立候補した際の選挙事務所スタッフにも加わっていた磯谷であった。磯谷はアルバイトのみの無職だったため仕事をやめる必要がなく、執行部提示の条件に合致。谷岡の依頼に磯谷のみが応諾したため直ちに磯谷を党本部に推薦、41位記載の比例単独候補として公示のわずか3日前に立候補することとなった。磯谷が比例名簿への搭載を自ら確認したのは党の資料等ではなく公示日当日の新聞だったという。磯谷はこの時の心境をtwitterにおいて「昨日、これぞ「晴天の霹靂」という事態が発生。人生、いろんなことがあるものです」と綴っている。谷岡から「人に迎合しないところが政治家向き」と評価されたものの、名簿順位最下位の数合わせのための立候補であり当選の見込みがなく、本人も当選する気はもとよりなかったことから、選挙期間中も専ら他の候補の運動の手伝いに終始した。個人事務所も開かず、谷岡の事務所に詰めていた。立候補者としての自身の街頭演説はわずか2回であった。
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