航空戦での活躍とは? わかりやすく解説

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航空戦での活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 05:14 UTC 版)

劉粋剛」の記事における「航空戦での活躍」の解説

1937年8月上旬日中両軍本格的な衝突秒読みとなり中国空軍出動命令下された第5大隊(第24中隊・第25中隊)は揚州進出の命を受け、8月5日部隊南昌発進し揚州移動した8月13日上海日本海軍中国空軍への徹底的攻撃指令し中国空軍空軍作戦第一号令発して翌日からの攻撃準備した8月14日第5大隊のカーチス・ホーク第2大隊とともに爆装して出撃した。第24中隊の8機は、長江さかのぼり上海へ向かう日本海軍駆逐艦次々爆弾投下した。しかし緩降下爆撃のために回避され最後の一弾が艦尾命中した駆逐艦傾斜したまま退避したその後、劉は揚州に戻ると再び爆弾付けて上海日本海軍陸戦隊本部爆撃した8月16日に劉は日本軍九五式水上偵察機を1機撃墜、これが劉の初の個人撃墜記録となった8月21日未明日本海軍九六式陸上攻撃機6機(吉田小隊3機、入間小隊3機)は揚州基地奇襲した出撃準備中だった第5大隊はただちに迎撃のため発進した真っ先追撃した劉は、すぐに12.7mm機銃陸攻1機を撃墜しその後僚機協力して吉田小隊全滅させた。これまでの戦いによる健闘で、劉粋剛始めとする日本撃墜者たちは「飛将軍」と称えられた。 9月7日、劉は太湖上空空母加賀」「鳳翔」の艦上戦闘機隊(複葉機九六艦戦のおよそ9機)に遭遇した。劉は地上攻撃中の僚機6機を援護するため、単機日本戦闘機隊へ攻撃をかけた。後ろ付かれた劉は連続急上昇駆使して相手後ろ取り九六式艦上戦闘機撃墜したその後日本機に取り囲まれた劉は、攻撃をかわしながら残弾の斉射でもう一機の戦闘機を墜とすと、黒雲中に逃れて離脱した。この太湖上空での劉の戦果は、「鳳翔」の戦闘詳報失われ、「加賀」も簡略的な記録し残されていないため、日本側の史料からは確認できていきない9月22日南京防空戦では、中央党空爆飛来し十三空の九六式艦上爆撃機12機・九六艦戦5機を第4大隊・第5大隊ホーク21機が迎撃した。劉の率いる9機は白相定男大尉(兵56期)の艦爆隊を襲った。劉は投弾直後九六艦爆銃撃被弾し艦爆棲霞山に墜落した日本側の記録によれば第三小隊3番機岩瀬一空兵の機である)。 10月12日南京空戦では2機を共同撃墜その様子は宋美齢目撃していた。 劉粋剛撃墜記録は、確実11機、不確実2機の合計13機を数え事実上のトップエースとなった。劉はその勇猛ぶりから空軍五虎将一人といわれ、太湖上空空戦では多数日本機を相手戦ったことから「空の趙子龍」とさえ呼ばれるようになった。劉の多大な戦功を讃え、国民政府中央航空委員会中国空軍総司令部などが七星星序奨章と二等宣威奨章を授与した

※この「航空戦での活躍」の解説は、「劉粋剛」の解説の一部です。
「航空戦での活躍」を含む「劉粋剛」の記事については、「劉粋剛」の概要を参照ください。

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