航海遠略策の内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 04:05 UTC 版)
長井の航海遠略策は、欧米諸国との紛争を避け、なし崩しのうちに開国しようとする幕府と、それを阻止し強硬に攘夷へ転換させようとする孝明天皇との対立から膠着状態に陥っていた現状を打破し、公武一和を模索するための献策であった。 長井が正親町三条実愛に差し出した建白書(後述)によれば、航海遠略策の大意は以下の通りである。 :朝廷が頻りに幕府に要求している破約攘夷は世界の大勢に反し、国際道義上も軍事的にも不可能であると批判。そもそも鎖国は島原の乱を恐れた幕府が始めた高々300年の政策に過ぎず、皇国の旧法ではない。しかも洋夷は航海術を会得しており、こちらから攻撃しても何の益もない。むしろ積極的に航海を行って通商で国力を高め、「皇威を海外に振る」って、やがて世界諸国(五大洲)を圧倒し、向こうから進んで日本へ貢ぎ物を捧げてくるように仕向けるべきである。そこで朝廷は一刻も早く鎖国攘夷を撤回して、広く航海して海外へ威信を知らしめるよう、幕府へ命じていただければ、国論は統一され政局も安定する(海内一和)ことだろう。 これを見る限り、夷を圧するという表現は頻出するものの、事実上の開国論であると言える。五大洲から進んで日本へ貢物を献ずるなど、いささか夜郎自大的な傾向はあるが、単純に外国人を排斥したり、条約を破棄したりするのではなく、通商で優位に立って外国を下すという気宇壮大さがあった。 海外と通商することで開国派を満足させる一方、諸外国を圧倒するとの表現で将来の日本の優位を謳い、自尊心を満たすことで、攘夷派にも十分受け入れられる思想であった(実際、攘夷思想を支持した孝明天皇さえも、日米和親条約締結を報告された際には、外夷に対して救恤(憐れみ)のために薪水を給与するという説明を受け、むしろ幕府の対応を褒めている)。また、朝廷の命令で幕府が航海を実行するという形式を取ることで、朝廷が幕府に大政を委任していることが改めて確認されており、尊王派にも公武合体派にも配慮した方針でもあった。 すでに同様の考えは佐久間象山や吉田松陰らも唱えており、破約攘夷派が多い長州藩内でも周布政之助や来原良蔵など、長井に賛同する者は少なくなく、周布の斡旋によって、これが長州の藩論となる。 ただし、長井の航海遠略策はあくまで大方針に過ぎず、実際にこれらの政策を実現するための体制変革などの計画には具体性を欠いており、多分に精神的な方針を示すに留まっていた。
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