航海記録とは? わかりやすく解説

航海記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 06:44 UTC 版)

バウンティ号の反乱」の記事における「航海記録」の解説

バウンティ号の航海記録詳細なものが現代残っているが、これは主に航海中から船を追放された後も記録続けたウィリアム・ブライ努力によるところが大きい。 バウンティ号の航海記録ブライが船を追放されて以降漂流中も大切に保存されつつ記録がつけ続けられバウンティ号喪失に関する彼の責任を問う裁判、および捕縛され反乱者たちへの裁判において重要な証拠として採用された。この記録原本は現在オーストラリアニューサウスウェールズ州立図書館保存されており、印刷物および電子版閲覧可能である。 航海記録1787年 8月16日 ウィリアム・ブライタヒチ島へのパンノキ採集遠征指揮官任じられる9月3日バウンティ」、デトフォード(英語版)の乾ドックを出渠。 10月4日バウンティ」、ロング・リーチ英語版)の弾薬補給施設移動し武器弾薬積み込みを行う。( - 10月12日10月15日 スピットヘッド移動し、残る乗組員搭乗食料衣料品等の積み込み。( - 11月4日11月29日 ワイト島セントヘレンズ英語版)に停泊12月23日 タヒチ島向けて出港イギリス領海を出る。 1788年 1月5日 テネリフェ島停泊。( - 1月10日2月5日 西経2150分地点で赤道通過3月23日 ティエラ・デル・フエゴ到着4月9日 マゼラン海峡に入る。 4月25日 ホーン岬通過諦め東へ転進5月22日 喜望峰通過5月24日 サイモンズベイに停泊。( - 6月29日7月28日 サンポール島通過8月20日 ヴァン・ディーメンズ・ランド停泊。( - 9月2日9月19日 ニュージーランド南端通過10月26日 タヒチ島到着12月25日 錨泊地をフアヒネ島のオワール湾に変更1789年 4月4日 フアヒネ島抜錨4月23日 補給のためトンガのアナモオカ島(現・ノムカ島(英語版))の沖に停泊。( - 4月25日4月28日 バウンティ号の反乱発生ウィリアム・ブライ18名の乗組員ボートバウンティから追放される。 ※以降は、バウンティ号から追放されブライ部下たちがオランダ領東インド経てイギリスへ帰国するまでの記録である。 1789年 4月29日 トフア(英語版)へ漂着5月2日 先住民攻撃を受けトフアから逃亡5月28日 ニューヘブリディーズ北の小さな島バンクス諸島)に上陸6月3日 オーストラリア目指してニューヘブリティーズを離れる6月13日 ティモール島到達6月14日 ティモール島クパン上陸。「バウンティ号の反乱」がオランダ当局報告される8月20日 スクーナー船ティモールを発つ。9月10日ジャワ島パスルアン着。 9月12日 スラバヤ着。 9月22日 スマラン着。 10月1日 バタビアジャカルタ)着。 10月16日 オランダ郵便船SS Vlydte」に便乗してヨーロッパ向けて出発12月16日 喜望峰通過1790年 3月13日 ポーツマス港に到着

※この「航海記録」の解説は、「バウンティ号の反乱」の解説の一部です。
「航海記録」を含む「バウンティ号の反乱」の記事については、「バウンティ号の反乱」の概要を参照ください。

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