航海術との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/09 16:36 UTC 版)
郷土史研究家たちによる近年の研究では、この島には航海カヌーを操る航法師たちの訓練施設があったのではないかとも考えられている。実際、ラナイ島とカホオラウェ島の間の海峡は「タヒチへの途」(ケアライカヒキ)と呼ばれている。1977年にはホクレアによって、この海峡から進発してタヒチへの航路に乗れるかどうかを検証する実験航海も行われた。 2004年10月、ハワイ諸島に伝統的な航海術(スター・ナヴィゲーション)が復活する礎を築いたミクロネシア連邦の航海者マウ・ピアイルック(「パパ・マウ」と呼ばれる)はこの島に教え子たちを集め、以後ハワイ諸島から遠洋航海に出発する際には必ずこの島で先祖に祈りを捧げるよう授戒した。 ちなみに、2007年に日本まで航海したオアフ島の航海カヌー「ホクレア」のクルーの中で全航程に搭乗したアトウッド・マカナニは現在この島に住み、環境回復活動に従事している。
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