航海術への貢献と水先案内人としての活動
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「ジョン・デイヴィス (探検家)」の記事における「航海術への貢献と水先案内人としての活動」の解説
1594年には実践的な航海術についての論文 『船乗りの秘密』(The Seamans Secrets)を、1595年にはより理論的な著作 『世界の水路学的記述』(The World's Hydrographical Description)を著している。また、当時航海の際の測量用具であったバックスタッフ(backstaff )を改良してデイヴィス式四分儀(Davis Quadrant)を発明した。1730年頃にジョン・ハドリーが八分儀を発明するまで、デイヴィス四分儀はイギリスの船乗りに愛用された。 1596年から1597年にかけてデイヴィスはウォルター・ローリーとともにカディスおよびアゾレス諸島へと航海した。1598年から1600年にかけてはオランダの東インド諸島探検に水先案内人として加わり、海図や地形図を作成した。1601年から1603年にかけて、ジェームズ・ランカスター(Sir James Lancaster)率いるイギリス東インド会社の第1回東南アジア航海に、水先案内の責任者として同行した。オランダ東インド会社の東南アジア航海で経験を積んだ彼の案内によりこの航海は無事成功し、大きな利益を出資者にもたらした。 1604年にはイギリス東インド会社のエドワード・マイケルボルン(Sir Edward Michelborne)の水先案内人として再度東南アジアに向かった。しかし、この航海で、マレー半島付近で日本人海賊に襲われデイヴィスは落命した。マイケルボルンは、1606年にイギリスに戻った後、デイヴィスの最後の航海の記録を著述している。
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