1607年ハドソン発見説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:38 UTC 版)
「ヤンマイエン島」の記事における「1607年ハドソン発見説」の解説
17世紀前半に活動したイングランドの捕鯨船長トーマス・エッジ (Thomas Edge) のいささか不正確な記述によれば、1608年に「ウィリアム・ハドソン」(William Hudson)がこの島を発見し、「ハドソンのタッチズ」(Hudson's Touches、あるいは Tutches)と名付けたという。同時期の著名な北方探検家にヘンリー・ハドソンがいるが、ハドソンがこの海域を訪れる可能性があるのは彼が北東航路探索にあたった1607年のみで、しかも理に適わない遠回りをした場合のみである。ハドソンの航海記録にはこの島について何も記されていない。カナダの歴史作家ダグラス・ハンター(Douglas Hunter)は、ハドソンの評伝『半月』(Half Moon、2009年)の中で、ヤンマイエン島到達時に乗組員の反乱が生じたため、このことに触れることを嫌ったハドソンが公開記録に島への到達を描かなかったのではないかと記したが、あくまでもハンターの推測であり、これを裏付ける証拠はない。
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