1606年のブチェンタウロ
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「ブチェンタウロ」の記事における「1606年のブチェンタウロ」の解説
17世紀に入りヴェネツィアの海上における覇権が低下したにもかかわらず、1601年に総督Marino Grimaniが当時まだ現役であったブチェンタウロの老朽化を理由に半ば強制的に上院にブチェンタウロの新造を可決させ、70,000ドゥカートもの予算を投入させた。この船のデザイナーは不明であるが、総督はアルセナーレ造船所の船大工の中から最もふさわしいと考えられる大工を選んだとも言われている。建設はMarco Antonio Memmoが監督し、1606年5月10日に新総督Leonardo Donatoの就任式にリド島へ航海で初めて使用された。 このブチェンタウロは1526年のブチェンタウロをモデルに作られルネサンス後期の影響を多大に受けたデザインになっており、ブチェンタウロの側面に描かれたタツノオトシゴに乗ったセイレーンなどのデザインにあらわれている。当初はこの船に施されているマルス像や後部側面にあるライオン像、船首像などの木製の彫刻のほとんどがヴェネツィアの著名な彫刻家であるAlessandro Vittoriaによって作成されたものだと考えられていたが、後の研究で「最高に美しい彫刻家」と称えられるバッサーノのヴァニーニ兄弟によって作られたものだと判明した。
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