1727年のブチェンタウロ
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「ブチェンタウロ」の記事における「1727年のブチェンタウロ」の解説
1727年はブチェンタウロの歴史の中で最も著名なものであり、1719年に上院で建設が決められ1722年からアルセナーレ造船所で建設が始まった。船は大工長であるMichele Stefano Contiによってなされ、木製の彫刻はすでにオーストリアやボヘミアなどで実績を残していた彫刻家Antonio Corradiniによって行われた。純金でなされた金メッキはZuanne D'Adamoが担当し、マルス像や後部側面にあるライオン像を含む装飾品や彫刻の一部は1606年のブチェンタウロから再利用されている。この船は1727年Sebastiano Mocenigoの時代に処女航海を行い、その輝きは多くのソネットや出版物に記録されている。 しかし1798年にヴェネツィアを征服したナポレオンが征服の象徴としてこの船の破壊を命じ、3日間かけて燃やされたほか船に施されていた金の装飾品の多くがフランスに持ち出された。その中でもヴェネツィアに残された装飾品は現在コッレール美術館(it)に展示されており、船のレプリカがアルセナーレ(it)にある。また船体はナポレオンによる破壊でもなんとか残り、ヒドラと改名されて改造されリド港に配備される軍艦となったがその後再び改造されたのちアルセナーレに戻され囚人船として完全に壊れる1824年まで使用された。
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