自然主義小説『地獄』
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「アンリ・バルビュス」の記事における「自然主義小説『地獄』」の解説
フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。『地獄(L’Enfer)』 1903年に最初の小説『哀願する人々』、1908年にゴンクール賞候補作となった代表作『地獄』を発表し、作家として揺るぎない地位を築くことになった。『地獄』は、パリの下宿に住む厭世的な詩人が自室の壁の穴から覗き見した病人、老人、同性愛者などの私生活を描いた作品であり、エロティシズムを含む人間の暗い情念に焦点を当てたエミール・ゾラ風の自然主義小説、写実主義、あるいはペシミズムを基調とするユイスマンス、ミルボー風のロマン・ノワールである。この作品は劇作家アンリ・ベルンスタンや小説家ピエール・ロティに激賞され、「稀にみる、恐るべき才能の持ち主」(ロティ)、(ダンテ作『神曲』の「地獄篇」への言及から)「ダンテの作品を完成させた」(ジュール・ロマン)、「素晴らしく、かつ、恐るべき」作品(アンナ・ド・ノアイユ)、「ついに人間の書が書かれた」(アナトール・フランス)、「本書には天才の荘厳かつ感動的な存在が感じられる」(モーリス・メーテルリンク)といった高い評価を得た。 こうしてバルビュスは、妻エリヨンヌと度々旅行し、劇場、演奏会、美術展に足繁く通い、フランス北部のオワーズ県オーモン=アン=アラット(フランス語版)や南仏アルプ=マリティーム県テウル=シュル=メール(フランス語版)に別荘を構えるなど、文壇の寵児として華やかな生活を送った(オーモンの別荘《シルヴィ邸》は現在アンリ・バルビュス博物館になっている)。 一方で、生活の華やかさとは裏腹に、『地獄』においてバルビュスが追求したのは人間の「疎外、孤独、絶望 … 弱さ」、「抑圧された人々、苦しむ人々の内奥の声」、「人間の苦悩に対する共感と憐れみ」の表現であり、この意味においてバルビュスはプロレタリア文学の先駆けともされる。そしてこうした探求が後の反戦・平和運動につながることになるが、この頃、上述の大衆雑誌などへの寄稿と併せて、経済学者フレデリック・パシー(1901年ノーベル平和賞受賞)と生理学者シャルル・リシェ(1913年ノーベル生理学・医学賞受賞)が主宰する反戦・平和運動「フランス国家間仲裁協会」の機関誌『平和評論(Revue de la paix )』や『権利としての平和(La Paix par le Droit)』などにも寄稿し始め、平和主義、国際主義、社会主義への傾倒を深めていった。
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