自然主義とスピリチュアリズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 15:10 UTC 版)
「本性」の記事における「自然主義とスピリチュアリズム」の解説
人間の本性についてもっともよく議論される別の面は人間の本性の実在性、特に肉体との関係である。これに対する視点は大きく3つに分ける事ができる。 自然主義の視点では、人間はいかなる意味でも霊的な性質を持っておらず、自然を超越した特別な目的を持って生まれたのではない。人間は完全に肉体的な(物質的な)存在であるとする唯物論と物理主義もこのなかに含まれる。しかし一部の自然主義者は心身について二元論をとる。自然主義では人間は計画されて生まれた存在ではない。それはランダムな変異と部分的には方向性のある自然選択の結果として生み出された。自然主義者は超自然的な死後の生命や生まれ変わりを信じない。自然主義が受け入れがたい視点としてしばしば非難されるが、著名な科学者、哲学者、思想家によって発展した。自然主義者はしばしば宗教的信念を根拠のない思想や呪術的思考、迷信と類似したものと考える。 観念論やイデア論は唯物論と対照的である。本質的にそれは現象と真実の区別であり、我々が周囲に見ている物は単に何か崇高な神性の反映であり、また人間(と恐らく動物)の精神や魂はその一部である。プラトンは人間性を、地下洞窟で生まれた時から鎖に繋がれた囚人に喩えた。彼は頭を動かすことができず、見ることができるのは洞窟の外の火によって壁の上に照らされた影だけである。プラトンにとって、魂は体を使う精神だった。それは非自然な結合状態にあり、肉体という刑務所からの解放を切望している。 トマス・アクィナスの視点は唯物論と観念論の中間に位置する。アクィナスの視点は本質的にはキリスト教神学とアリストテレスの哲学の統合である。アリストテレスは人間が動物(物質)と理性(知性ある魂)の統合と言った。人間の魂は霊的で、不滅で、本質的で、固有的である。それは様々なかたちで肉体に依存しており、明確に区別する事ができるものの、肉体と精神は不可分である。
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