社会主義への傾倒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 07:10 UTC 版)
その後、島田は社会主義運動・理想社会思想に傾倒し、ソビエト的な理想社会主義を掲げ全国をアジテーションして周る活動を行いながら『地上』は第四部まで刊行されてゆく。この間、堺真柄に好意を持ち婚姻を申し込もうとしたが、父親(堺利彦)からはぐらかされて相手にされなかった。『地上』第三部「静かなる暴風」は、初版三万部、発売即日完売、重版につぐ重版と、巨万の印税が入るようになって身なりも生活も豪奢となり、月々千円を使ったといわれるほどの「大正成金」ぶりであったが、社会改革という高邁な理想を掲げる反面、現実面での内的寂寥は昂ずるばかりで、放縦、放恣な生活に堕し、奔放な女性関係や、卑屈の裏返しというべき、虚栄、倨傲さが関係者から嫌われる原因となり次第に文壇的に孤立していった。それでも長江や徳富蘇峰、佐藤春夫など、島田の才能を高く評価する向きも少なくなかった。『地上』は総売上げ部数三十万部を超え、清次郎の人気は絶頂に達した。清次郎と同年の新進作家、川端康成は『文藝時代』に「新しい時代の常識となり得る程の広い人生観を含んだ作品こそ、世界が求めてゐる文藝だ。(文壇波動調)1925年」と肯定的に書いた。
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