社会主義との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:19 UTC 版)
自由主義的社会主義者のフランツ・オッペンハイマーは、社会的市場経済の先駆者のひとりと見なされている。彼らの学派には、社会的市場経済の父であるルートヴィヒ・エアハルトとヴァルター・オイケンも所属しており、他にもフランツ・ベームとアレクサンダー・リュストーがいた。オッペンハイマーとは違って、ルートヴィヒ・エアハルトは、私有財産のない経済を考えることはなかったものの、「社会的自由主義」や、競争、社会的責任、カルテルと独占に対する抵抗、貿易障壁の解体、資金・資本の自由な移動、統一ヨーロッパ構想(「自由と平等のヨーロッパ」)、このようなエアハルトの考えにはオッペンハイマーの影響が見られる。エアハルトが言うには、「自由主義的社会主義」から「社会的自由主義」へと重要性が変わった。エアハルトは1964年の記念講演で次のように説明している。「本当に深く印象に残っていて、私にとって忘れることのできないものがあります。それは我々の時代の社会福祉政策的問題との論争であります。彼(訳注:オッペンハイマー)は『資本主義』というものは、不平等を導き、不平等を固定する原理であると思っていました[...]。別の面では、彼は共産主義を嫌っていました。なぜならそれは不可避的に不自由をもたらすからです。ひとつの方法があるに違いない、第三の道となって、そのふたつをうまく統合し、その矛盾からの逃げ道が。私は、たいていは彼の指摘に合うよう、センチメンタルではなくて現実的な方法を社会的市場経済のなかで示そうとしたのです」。フォルカー・ヘンチェルによれば、自由主義的社会主義と社会的市場経済とは、「その思想的な由来からして根本的に異なったものであり、エアハルトの経済政策的構想からは仲裁されることはなかった」。ベルンハルト・フォクトは、オッペンハイマーが社会的市場経済の先駆者としておそらく最も重要であると見ている。 ヴェルナー・アーベルスハウザー(ドイツ語版)によれば、ミュラー=アルマックは、エアハルトとは違って、市場経済は社会福祉政策あるいは社会主義的経済政策と結びつくものであると考えていた。ラルフ・プタック(ドイツ語版)は、そこには社会主義との明白な違いがあると見ている。「社会福祉国家の途切れることのない可変的性質という従来の新自由主義の命題が関心を呼ぶようになったこと、社会主義に対する攻撃的な敵意が生じたこと、再び秩序政策的な原則が重要視されるようになったこと、こうしたことによって、社会的市場経済は概念的には本来の新自由主義的な方向に向かっていった。西欧社会民主主義とユーロコミュニズムが形成されるなかで、社会主義に対する悪いイメージは、何よりもまず民主主義的社会主義を指すようになった」。ミュラー=アルマックは、1947年にはまだ「社会主義はもっと自由と」結びついているべきだと考えていたが、自由主義的な社会主義には明確に距離を置くようになったが、それにも関わらず、ゲルハルト・ヴァイサー(ドイツ語版)と同様、自由主義的社会主義寄りであると見なされていた。彼の伝記によるとこのことは、「市場経済」と「社会」のセットなど効果はないとして認めなかったであろうマンチェスター自由主義に対する不信が続くなかで確立された考えであった。まだ1955年には、このような概念的な問題が存続していたため、ミュラー=アルマックは、ヴァイサーとは明確に距離をおく必要があると考えるようになった。「社会的市場経済は、何よりもまず市場経済の一形態であり、それゆえ自由主義的社会主義、経済的自由を制限するような制度とは混同してはならない。そこには大きな違いがある」。
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