編成と楽器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 23:27 UTC 版)
編成は、チンドン太鼓、楽士を基本として、3人から5人の編成で、ゴロス(大太鼓)、旗持を伴うことも多い。 チンドン太鼓 チンドン太鼓は、下座音楽で用いられていた楽器である鉦(当たり鉦)、締太鼓、大胴を組み合わせて作られ、 身体に垂直となる向きで上に鉦と締太鼓、下に大胴を木枠にはめ込み、上部に傘、前部には屋号を書いた札を立てる形が一般的。締太鼓、鉦、大胴のサイズは小さめで、とくに締太鼓はチンドン屋以外は用いないといわれるほど小さい。ひもを肩にかけ、身体の前面にチンドン太鼓を固定する。 東京では、山の手のチンドン屋は締太鼓を大胴の下に地面に平行な向きで固定していたのに対し、下町では剣劇を行いながら歩くことが多く、締太鼓を上部に置くことになった。昭和初期までは銅鑼を用いることもあった。大胴と締太鼓を叩く際にはバチ、鉦を叩くには先端に鹿の角を付けた撞木を用いる。リズムは細かく、囃子に歩調のリズムが合成されて生じたものと考えられる。 ゴロス(大太鼓) ゴロスは、フランス語の大太鼓"grosse caisse"からの転。ドラムと呼ぶチンドン屋もいる。 フランス式を採用していた帝国陸軍の軍楽隊の退役者が、映画館などで楽士となり、この語が広まったと推察される。 ゴロスは、紙芝居でも話の合の手として用いられており、戦後、紙芝居からチンドン屋へ転業する際に持ち込まれたという意見がある。 チンドン屋のゴロス演奏に特徴的な点としては、左右で用いるバチの大きさが異なることが挙げられる。 三つ打「ドン・ドン・ドン・(休)」、七つ打「ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・(休)」といった単純なリズムを繰り返すことが多い。 楽士 主に旋律を担当する。 メロディを崩して演奏することが多い。 楽器としては、昭和初期あるいは戦前期から戦後間もなくにかけては三味線を使うこともあったが、戦後音量の大きなゴロスが普及すると、音量が小さい上に技量を要することが難点となり、さらにマンボなど洋楽リズムの流行に伴い昭和30年代はじめまでに衰退し、次第に管楽器がほとんどを占めるようになった。 クラリネット、サックスが用いられることが多く、トランペットあるいはコルネットも用いられたが、次第に減少している。 楽士は特定の親方に属する雇用関係を結ぶこともあったが、依頼に応じて編成の大きさを変える必要性もあり、仕事の都度依頼されたり派遣されたりする形をとることも多い。 フリーの楽士は「出方」と呼ばれる。明治期より演奏家の派遣業が存在し、臨時の要に応じて映画館、サーカスや宣伝を請け負い、見習いは宣伝の町廻りをした。サーカスとチンドンの間を行き来する楽士もいた。 昭和初期にはトーキーの登場によって映画館を追われた演奏家、戦後はサーカスから転身してきた演奏家が、楽士としてチンドン業界に流入したと言われている。1990年代以降は、ジャズやロックのミュージシャンが楽士となることも多い。
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