編成と独ソ戦開戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:47 UTC 版)
「第36SS武装擲弾兵師団」の記事における「編成と独ソ戦開戦まで」の解説
1940年3月23日、恩赦と引き換えに犯罪者を前線に送るというヒトラーの考えを元に、ヒムラーの副官SS中将カール・ヴォルフは新しい懲罰部隊の編制にかかった。対象となる犯罪者の範囲や年齢、その他諸々の検討が行われた後、密猟者の射撃の腕を活かした特務部隊編制を名目として、逮捕されて服役中もしくは未決の密猟者のうちから、罪状の軽い犯罪者を中心に部隊を編成することになった。1940年4月10日にはガイドラインが決まり、6月には北ベルリンから25マイル離れた町オラニエンブルクにあるザクセンハウゼン強制収容所に84人の候補者が集められ、ヴィルトディープコマンド オラニエンブルク(オラニエンブルク密猟者分遣隊 Wilddiebkommando Oranienburg)が編制され、早速訓練が開始された。 一方、それと前後してヒムラーの側近で親衛隊本部の中心的人物だったゴットロープ・ベルガー親衛隊少将は、旧友であるオスカール・ディルレヴァンガーが武装親衛隊へ復帰できるよう尽力していた。1940年6月4日彼はヒムラーと話し合い、誕生したばかりのオラニエンブルク犯罪者部隊の指揮官にディルレヴァンガーを推薦した。これをヒムラーは承諾し、1940年6月24日、ディルレヴァンガーは一度は追放された親衛隊復帰の辞令を手に入れた。着任後、ディルレヴァンガーは部隊名を変更し、ゾンダーコマンド ドクターディルレヴァンガー (特殊任務部隊 ドクター・ディルレヴァンガー,Sonderkommando Dr. Dirlewanger)とし、その2ヵ月後にはSS配下となったことで、部隊名にSSの名前がつき、SSゾンダーコマンド ドクターディルレヴァンガー (SS特殊任務部隊 ドクター・ディルレヴァンガー,SS-Sonderkommando Dr. Dirlewanger)となった。 部隊は、ポーランドへ移動し、独ソ国境沿いに構築された防衛線オットーラインの建築の手伝いを行い、その後、Dzikow(現タルノブジェク)にあるユダヤ人の労働キャンプの警備に就いた。この頃からすでにディルレヴァンガーと部隊の所属将兵達による地元住民への暴行が問題になっていた。そのため、部隊は懲罰を兼ねて独ソ戦に送られることになった。
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