編成と役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 06:52 UTC 版)
五十戸制の時代には、複数の五十戸をまとめて評を置き、複数の評をまとめて国(令制国)を置いた。 五十戸は、その後身である里と同じく、人間集団である戸を五十まとめて指定したもので、原理的には地区ではなく人間集団である。行政の便宜のために五十という数で区切って作り出したものである。しかし戸についても行政が戸籍編製のために人工的に割り振って作ったものではないのではという疑いがあり、戸を五十集めて人工的に五十戸・里を作り出すのと、五十戸・里を五十に分けて人工的に戸を作り出すのと、両方があり得たようである。 古代の日本には村・邑と書いてムラと読んだものがあり、行政の認定なしに存在した自然村落であった。加えて、郷・里と書いてサトと読んだものの中にも行政上の郷・里と異なる自然村落があったようである。五十戸と書いて無理矢理サトと読ませた背景にも、五十戸での分け方と重なったり異なったりする地元のサトの存在が考えられる。 出土した荷札木簡の差し出し部分には、評と五十戸が書いてあるものと、評・五十戸に続けて人名が書いてあるものがあり、後の郡・里と基本的に同じである。五十戸の役割は、律令制の里と同じく、行政の末端にあって徴税と労役の徴発を行うことにあった。
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