編成と制服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/02 00:11 UTC 版)
「リュッツォウ義勇部隊 (解放戦争)」の記事における「編成と制服」の解説
この義勇部隊は一時的に3500の兵力を擁し、それは1814年、次のように編成されていた。 歩兵(総勢2900名)は、それぞれ4個の銃士中隊および1個の猟兵部隊を含む3個大隊に分かれていた。第2大隊には第3マスケット銃士中隊の代わりに、ティロール人の狙撃兵中隊が配備された。 騎兵(総勢600名)は5個の中隊に分かれ、その多くはウーランであった。しかし第4および第5中隊はフザールであった。当初、第2中隊は騎馬猟兵 (de:Jäger zu Pferde) 部隊として編成されている。 砲兵(総勢120名)は、各1個大隊未満の徒歩の砲兵と騎馬砲兵に分かれていた。 制服の色は原則として黒である。それは黒が、陸軍の輜重部隊や市場に備蓄された様々な布地を染めて作れる、唯一の色調だったことに由来する。それに制服の縁の識別色 (Facing colour) として赤が加わり、金色の真鍮製ボタンも添えられた。マスケット銃士、砲兵およびウーランはリテウカ(ドイツ語版)を、フザールはドルマン(英語版)と毛皮で飾った上着(ペリース)を着用した一方、狙撃兵はオーストリア軍を参考にしたカワカマス色(hechtgrau、カワカマスのような灰色)の制服に、明るい緑色の識別色を組み合わせて着用した。一般的にはシャコー帽が採用されたが、狙撃兵のみはオーストリア風の狩人帽を被っている。また、ウーランの槍の小旗は黒と赤を組み合わせていた。 後に部隊が戦列歩兵に編入されると、当初は黒い制服の着用が続けられたが、戦後は規定通りに紺青のものに替えられた。
※この「編成と制服」の解説は、「リュッツォウ義勇部隊 (解放戦争)」の解説の一部です。
「編成と制服」を含む「リュッツォウ義勇部隊 (解放戦争)」の記事については、「リュッツォウ義勇部隊 (解放戦争)」の概要を参照ください。
- 編成と制服のページへのリンク