五十戸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 01:49 UTC 版)
五十戸(さと、ごじっこ)は、7世紀中頃から後半の日本にあった地方統治の組織で、評の下、戸の上にあった。50の戸をまとめたもので、その長を五十戸造といった。683年頃に里に改称した。
- ^ 鐘江宏文「七世紀の地方社会と木簡」。
- ^ 岸俊男「「白髪部五十戸」の貢進物付札」680頁。
- ^ 『評制下荷札木簡集成』12頁。
- ^ 渡邊久雄「律令の中の五十戸一里の制度について」。
- ^ 『国史大事典』第14巻514頁、「里」。
- ^ 渡邊久雄「律令の中の五十戸一里の制度について」47-50頁。
- ^ 渡邊久雄「律令の中の五十戸一里の制度について」47頁。
- ^ 岸俊男「「白髪部五十戸」の貢進物付札」662-670頁。仁藤敦史「飛鳥・藤原の都」100-103頁、『評制下荷札木簡集成』14頁、73頁、吉村武彦「飛鳥から平城京へ」34-35頁など、諸書みなこれに従う。
- ^ 狩野久「木簡の用途に関する若干の考察」161-162頁。鎌田元一「七世紀の日本列島」47頁。『評制下荷札木簡集成』14頁。
- ^ 吉川真司「律令体制の形成」206頁。
- ^ 森公章「評家」124-125頁。
- ^ 吉川真司「律令体制の形成」。市大樹『飛鳥の木簡』76-77頁。
- ^ 鎌田元一「七世紀の日本列島」45-48頁。
- ^ 森公章「評家」126頁。
- ^ 吉川真司「律令体制の形成」208頁。『評制下荷札木簡集成』14頁。市大樹『飛鳥の木簡』58-60頁。
- ^ 浅野啓介「庚午年籍と五十戸制」6-7頁。市大樹『飛鳥の木簡』67-68頁。
- ^ 『評制下荷札木簡集成』11頁。
- ^ 鎌田元一「評の成立と国造」170頁、179頁補註2。舘野和之「律令制の成立と木簡」327頁。鐘江宏之「七世紀の地方社会と木簡」296頁。『評制下荷札木簡集成』11頁。
- ^ 『評制下荷札木簡集成』18頁。
- ^ 吉川真司「律令体制の形成」210頁。『評制下荷札木簡集成』11-12頁。
- ^ 2006年頃までに知られていた「五十戸」が現れる荷札木簡58点中41点、71%が和名抄の郷に一致した(『評制下荷札木簡集成』12-13頁)。
- ^ 『評制下荷札木簡集成』。
[続きの解説]
「五十戸」の続きの解説一覧
- 五十戸のページへのリンク