終末期医療患者とともに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 13:59 UTC 版)
「アンナ・ハルプリン」の記事における「終末期医療患者とともに」の解説
1971年、ハルプリンは結腸に悪性腫瘍が見つかった。人生のこの突発事は、治癒のプロセスを支えてくれる個人的な儀式を作るための調査を促した。フリッツ・パールズから学んだ調査とセラピーの手法を用いて、心理的な振る舞いを理解し、パフォーマンスへと仕立てた。 この病気はまた、「ダークサイド・ダンス(Darkside Dance)」などの作品で、ダンスを通して感情を解放する方向にも導いた。やがてハルプリンは公演を停止するが、その癒しへの探求は周囲の人々に刺激を与え、1978年に娘とともにタマルパ研究所を共同設立することになる。二人はサンフランシスコ・ダンサーズ・ワークショップに研究および教育の非営利部門を作り、治療と社会的葛藤の解決への手段としての、心理学、身体療法、およびダンス・美術・演劇を通した教育を統合する創造的プロセスのトレーニングを提供した。 ハルプリンの「ライフ/アート・プロセス」は、セラピー、自己変容、心理療法に特化したワークショップを生み出した。身体、動き、対話、声、ドローイング、即興、パフォーマンス、および省察といった手段を通して、自分自身を探求し、自分自身を癒すためのセラピーとして芸術を用いるよう、導くものであった。時にはマウンテン・ホーム・スタジオが会場となり、ハルプリンの自宅の、全ての始まりとなったデッキで踊ることもある。1970~80年代、ハルプリンは、終末期医療患者や、病気からの回復中の人々との協同作業に集中した。1987年にはがん支援教育センターに招かれ、患者たちと作業をした。一連の身体認識エクササイズを指導し、芸術的な手段を通して自己を視覚化させることで、エネルギーを生み出そうとする努力を助けた。ハルプリンの終末期医療患者たちとの関係は長年に渡った。自らの治癒の原理を具現化した作品の1つに、1981年春の Circle the Earth(地球を囲む)がある。そこでの「創造性は、人々の創造性が徐々に高まり、実際のパフォーマンスにおいて頂点に達するような経験を導く、オープンエンドのスコアに基づいている」。 ハルプリンは、病に関わるダンスとともに、重大な社会的問題に関わるダンスを作り始めた。娯楽を提供するわけではないため、もはや観客は必要でなかった。むしろ、ダンサーたちが「自分自身の内部、そして世界の内部で何かを成し遂げる」ことを目的としてそこにいることを理解できる人々が求められた。ハルプリンによるダンスの政治性もそこにあった。
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