米川とドストエーフスキイとは? わかりやすく解説

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米川とドストエーフスキイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:17 UTC 版)

米川正夫」の記事における「米川とドストエーフスキイ」の解説

先述通り米川翻訳処女出版1914年ドストエーフスキイ白痴』であり、その後カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』と翻訳進め1935年罪と罰』を翻訳してドストエーフスキイ後期5大長編をすべて訳了する。上記の『罪と罰』は三笠書房企画されドストエーフスキイ全集翻訳陣の一人として招かれた際に担当して新訳したものであったが、1941年陸大退官後の米川次の仕事を必要としたことと、翻訳専念する時間をとれるようにもなったことなどから、個人全訳での『ドストエーフスキイ全集翻訳企画岩波書店企画もちこみ出版契約がまとまる。だが戦時体制強化される中、全集出版のための用紙確保できず、計画中止せざるをえなくなった。しかしほぼ時を経ずして、計画の頓挫聞きつけた河出書房版元名乗りをあげ(社長・河出孝雄自らが出版させてほしいと米川申し入れたという)、新たに河出書房契約締結する。こうして全30巻(別巻1)の予定で、同年12月全集刊行開始される。この全集のために米川は『貧しき人々』『虐げられ人々』などを新訳している。しかし1943年戦意昂揚出版物刊行最優先される状況下で全集刊行続行は困難となり、13冊を刊行した時点出版計画中止決定されるただ米川は、刊行途絶の後も個人的に作家日記翻訳続けており、再起して全集完成向けた彼の情熱窺い知れる。『作家日記翻訳北軽井沢での疎開生活でも続けられて、終戦迎えた。 『作家日記』を米川がほぼ訳了した1945年10月河出書房戦後版全集刊行申し入れ、翌46年6月米川2度目ドストエーフスキイ全集刊行開始される戦後深刻な物資不足は紙も例外ではなく終戦後爆発的に高まった書籍需要への対応が追いつかない状態で、米川版第2全集初回版と比べて1冊あたり約半分厚さ、また紙質もかなり質を落として刊行余儀なくされ、全50予定刊行始まっていた。この全集の際に米川ドストエーフスキイの全創作作品訳了刊行果たした。ただし発刊当初好評推移していた売行きも、刊行長期化する中、物資不足が立ち直りをみせ、1950年代入って用紙造本ともに上質な書籍増加したことで、第2全集採算覚束なくなり43冊を刊行した時点で、「書簡集」などを残して1951年4月にまたも続刊中止やむなき至った。 しかし河出書房同年のうちにすぐさま全集企画上質紙確保豪華な装幀変更して1951年8月改め米川個人全訳による第3次ドストエーフスキイ全集刊行開始する今回1巻あたりのページ数を第2全集の倍以上に増やして18巻での企画であり、1953年9月完結戦前からの米川執念漸く結実しそれまで翻訳人生集大成をここで一旦果たすこととなった

※この「米川とドストエーフスキイ」の解説は、「米川正夫」の解説の一部です。
「米川とドストエーフスキイ」を含む「米川正夫」の記事については、「米川正夫」の概要を参照ください。

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